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前回の「日本書紀の謎を解く」を読んで、上代日本語とか日本語の歴史に興味が出てきたので、手軽に一冊読んでみた。簡潔かついろいろなトリビアを取り込んで面白い読み物として仕上げられていて、なかなか良い。前回書いた、上代日本語の八十七の音節だとか、倭習の強い漢文の話、そして日本語が文字においては漢字に全面的に依存して出来た言語(カタカナもひらがなも漢字を元にしている)であることなど、古代のことから近現代まで、ダイジェスト風に歴史をたどることができる。
ネットのレビューなどでは、鎌倉室町時代の、係り結びの消滅と主格を表す助詞の活用による、論理的な文章への変化を叙述したところが評判がよい。日本語が非論理的なのではなく、論理的に整備された言語を論理的に使えないのが問題だということで、まあ、こういった日本語の非論理性を否定する議論そのものはずいぶん前からあるものなので、目新しさはないけれど、情緒を強調する係り結びからの変化として歴史的にとらえたところは面白い。
しかし、新書なため、やはり物足りない部分も多い。
●「日本語の歴史」平凡社ライブラリー
そこで、折よく刊行が始まっていた大冊のこの「日本語の歴史」に手を出すことにした。1965年に完結を見たシリーズで、上記新書の参考文献としても挙げられていて伝説的名著と言われていたらしい。各四、五百頁で全七巻と小島信夫の「別れる理由」くらい、あるいは「失われた時を求めて」の半分くらい長いものだけれど、とりあえず三巻まで通読。もっとも内容をきちんと把握できている自信はまるでない。やはり内容が濃いうえにあまり手を出してこなかったジャンルなので。なお、本来はこれに「言語史研究入門」という方法論的なことを扱ったらしい別巻があり、全八巻だったのだけれど、平凡社ライブラリー版では刊行予定にない。どうせなら出せばいいのに。
このシリーズ、第一巻が、日本語の歴史は日本民族の歴史である、として、日本の始まりから話が始まるのが特徴。歴史学、考古学、人類学などの学問を動員して、まずは日本民族がどこから来たかを論じる。執筆に江上波夫が入っていて、騎馬民族説に結構な頁を割いているところなどいまにしてみれば古くなってしまった部分だけれど、紹介しつつも学説そのものについてはそれに依存するわけではなく、きちんと保留して論を進めている(これを読むと、騎馬民族説が戦後歴史学に与えたインパクトの大きさがわかる)。
一巻はそのまま、日本列島の起源から、日本語起源論、系統論を経て、文字以前の原初日本語の話へと至る。様々な知見が満載だけれど、初学者に優しい書き方とは言えない部分が多いので、よくわからない箇所も散在している印象。
そういえば、この巻には、古代日本人について、人種学、というか形質人類学、というのか、そういった視点から見た日本人の特質について論じている部分がある。そこでは、日本人の骨格にかんする調査が紹介されていて、それによると現代日本人は、畿内型と東北・裏日本型に分類することができるとされ、また、東北型はアイヌに近く、畿内型は朝鮮系に近いという。そして、もっとも代表的な畿内人は、東北型よりも朝鮮人に近いらしい。
これは、1949年から四年間、全国町村別に同一基準で測定された五万人を超えるデータに基づいて、小浜基次によって報告されたものらしい。この話、以前網野善彦の対談集で網野が発言していて(確か小熊英二との対談だったので、いまは小熊の対談集で読めるはず)、そのときは特に根拠も提示されずに語られていたので、排外主義的ナショナリズムに対して持ち出すには確かに面白すぎる話だけれど、ちょっとトンデモ臭いし、突っ込まれる隙になりゃしないかと思っていたのだけれど、どうも、網野はこの報告をもとに発言していたみたいだ。この調査と結論について、その後なんか議論があったかどうかは知らないが、骨格から見た調査では日本人の朝鮮系との近親性が確認されるというのは面白い。
知人は、朝鮮韓国にレイシズム発言を繰り返す奴に、おまえみたいな顔のことを朝鮮顔っつうんだよ、と言ったらぶち切れられて喧嘩になったらしい。爆笑ですね。
また、二巻は漢字伝来を扱って、非常に面白い巻になっている。しかしそこはこのシリーズ、漢字だけではなく、文字そのものの起源から話が始まる壮大さで、シャンポリオンの話などを盛り込んで、文字史の概説から漢字の話へ移行する。また、日本に漢字が輸入されるという国内的な事情のみではなく、朝鮮、ヴェトナムまでを包含する漢字文化圏について包括的な視点から周辺諸国が漢字の影響にさらされる様を描き出している。たとえば朝鮮では、なんとか漢字を用いて民族の言葉を表そうという努力がなされたけれど(「吏読」、「吐」、という方法があり、万葉仮名のようなものもあったらしい)、ついには漢字を放棄し、1443年「諺文(オンモン)」という文字を作り出した。これは漢字の原理を踏襲しつつ、アルファベットなどの表音性を導入して作られたものらしい。しかも成立当初は慕華思想が根強く、漢字を放棄するなどとんでもないことだと猛反発をくらい、実際に民族の文字として根付くには第二次大戦後の日本の植民地から解放されるのを待たなければならなかったという。いまではハングル(大いなる文字)と呼ばれている。ハングル - Wikipedia Wikipediaによると、ハングル公布が1446年となっていて、この本の記述と三年ずれてる。
ここには、日本とは違う漢字受容の歴史が語られている。開音節(音節が母音で終わる)のため、音節数が限られる日本語と、閉音節もあり音節数が多い朝鮮語とでは漢字との親和性が異なり、このような歴史をたどったということらしい。朝鮮以外にも、西夏文字、契丹文字など、中国周辺国での文字に関しても語られていて面白い。いくつかの国や民族では、漢字を基にして新しく造字したり(日本にも国字がある)した歴史が語られ興味深い。
また、ここで著者は、表音文字と表意文字という二分法に疑問を呈している。そして、漢字は正しくは、「表語文字」というべきだと述べている。これはなかなか得心のいく意見だと思った。
前回の書紀成立論にまつわる余談だけれど、この巻では、書紀の編纂メンバーとして続守言が関わっている可能性が指摘されている。まあ、漢文で書かれた書紀に、当時渡来人として漢文の知識を豊富に持っていただろう人物が関わっているだろうという推測自体は、しごく蓋然性の高いものとして考えられていたのだろう。森博達の議論はそれに裏付けを与えた形になるのか。
三巻では日本語の言語芸術の歴史が語られる。紀貫之、「竹取物語」、「源氏物語」、などなどが出てくるけれど、私はこれらの文学にほとんど触れていないので、いまいち具体的に記述が理解できないことが多かった。もうちょっと論じているものの本文を引用してもらえるとよかったのだけれど。
また、文章がなかなかの名調子でさくさく読んでいくだけでも面白かったりする。項目ごとに違う執筆者の書いたものを、編集委員がリライトするという形で書かれたらしいのだけれど、ある項目は特に文章に勢いがあるな、と感じたりできて面白い。隔月刊行らしいのでゆっくり読んでいこうかと。私としては一巻の解説に語られている、六巻あたりの近現代あたりのことが面白そうだと期待している。
ここ半年ほどのあいだに読んだ本のなかでもこれは格別の面白さ。タイトルに比して中身はかなり専門的な議論を下敷きにしている硬派の研究書でもある。ちょっと読みづらい。とはいえ、その面白さのせいで専門的な部分のわかりづらさも何とかなる。
古代史研究では、古事記もそうだけれど、日本書紀の記述の信頼性についてはつねに大きな問題として立ちはだかっていた。なにぶん、文献史料がそもそも書紀、古事記程度しかない時代についてのことなので、書紀の周辺史料から書紀の信頼性を確定することができない。批判的記紀研究の先駆け津田左右吉の議論においても、(引用されたものを読む限り)やはり具体的な根拠に欠けるせいか、そうも言えるし、こうも言えるという感じで議論が明確な叩き台を得られていないように思える。これまで、書紀を用いて古代史を論ずる前に行われるべき文献学が手薄だったと著者は指摘している。
私がいままでざっと読んできた書紀研究は津田のものを延長した、内容の相互矛盾などを検討していくタイプのもの(内容の整合性などから判断していく形)だったけれど、この本では、書紀の表記、文体といった形式面、「いかに書かれているか」という観点から徹底的に分析していくという試みになっている。いわば文献学的吟味を経て、最終的に「誰が書いているか?」を推理していくという謎解きが展開されていく。
そして、この文献学的研究による謎解きが滅法面白い。先が気になって仕方がないうえに、謎が解かれていく推論の展開がエキサイティングな学術エンターテイメントとして楽しめる。まるで推理小説のような面白さだと学術書やノンフィクションを褒める人がいるけれど、こういう面白い研究書を読むと、話が逆だと言いたくなる。推理小説が学問的探求のような面白さを持っていることがある、と言わねばならない。現実にある、本当の謎を解いていく、解こうとする面白さは、推理小説では味わえない。それに、私の印象では、この本のように面白い推理小説を読んだ覚えがない。最近出たシャーロック・ホームズの新訳ものを三冊ほど読んだけれど、どれもこの本ほど面白くはなかった。
で、この本の何がそんなに面白いのかというと、全三十巻の「日本書紀」という歴史書の文体、表記、文法を様々な観点から分析することで、それぞれの巻ごとに決定的な違いが見られること、その違いから述作者がどの言語に習熟している人物なのかを判別し、その情報を元に、書紀の各巻の書かれた順番と作者をすら推理してしまうというアクロバティック(トンデモという意味ではない)ともいえる論理展開だ。一種の犯人探しゲームといえる。
その犯人探しには平安以前の上代日本語の表記、文法、音韻の専門的知識、さらに漢語で書かれた書紀を分析するのに必須の当時の中国語のそれとを総動員していて、なおかつ契沖から本居宣長、橋本進吉、そして夭逝の秀才有坂秀世といった国語学、日本語学における偉大な学者たちの学説をおさらいしつつ書かれているので、読者は近世から現代に至る研究史のエッセンスを知ることができる。
余談だけれど、上代日本語においては、五十音(濁音ふくめて六十二)ではなく、八十七(八十八説もあり)種の音節を発音し分けていたことなどは、私はこの本で知った。そのほかにも、「兄弟」をキョウダイと読むのが呉音、ケイテイと読むのが漢音だとかの、漢字の読みにもいくつかの種類があることだとか、日本語学に疎い私には新鮮な知識が満載だ。
で、この本で核心になっているのは、上代日本語の音韻にかんする部分だ。それまで、万葉仮名(漢字の音を使って意味ではなく音を表記する仮名。語弊があるけれど、よろしく=夜露死苦みたいなもの)の分析により、八十七種の発音があったらしいことはわかっていたのだけれど、当時の音価(具体的にどう発音していたか)は不明だった。書紀などの万葉仮名を見れば、当時の音価もわかるかと思われたけれど、書紀の万葉仮名は中国語原音を正確に判別できない日本人によって書かれており、体系だっていないため音価推定の資料的価値はないとされてきた(有坂秀世による万葉仮名倭音依拠説)。砕いて言うと、当時のある音を表記する万葉仮名が、異なる中国語原音をもつ複数の漢字を脈絡なく用いていて、漢字音と当時の音価をイコールで結べないということ。
中国語原音によって万葉仮名が書かれていれば、当時の日本語の音価を正確に推定できるのに、この倭音依拠説が壁となっていた。しかし、森氏は巻ごとの万葉仮名を詳細に分析し(今ならパソコンを使って解析するのだろうけれど、当時パンチカードを使ってソートしたりしていた思い出を著者は書き込んでいる)、書紀のある一群の万葉仮名が、どうも倭音による混乱のない正確な体系に基づいて書かれているらしいことを発見する。
ここら辺は説明が厄介なので、実際に読んでみないとどこが凄いのかわからないけれど、本書のハイライトといってもいい、研究史上でも画期的な発見らしいところで、読んでいて手に汗握る興奮を覚えた。前回もリンクした言語学のサイトの以下のページでは、この本の下敷きになった論文の要約をしている。非常に参考になるので是非一読してください。
学問の部屋
さらに中国語の原音で書かれているとおぼしき部分の万葉仮名では、中国語を母語とする人間が日本語を聞き取ったときに発生する聞き間違いが存在するとして、その一群を中国人が書いたのではないかと推論していくあたりも非常に面白い部分だ。これは、日本語ネイティブが英語のLとRを区別しにくいように、中国語ネイティブも、日本語の濁音と鼻濁音を区別しないらしく、「バ」と「マ」、「ダ」と「ナ」が区別されていないとか、「ミズ」を「ミツ」と表記しているような、中国語ネイティブ特有の日本語の誤りが存在するらしい。
以上の議論から、書紀の内、森氏がα群と名付けた一群の巻は中国語原音に依拠していると結論づける。そして、α群の万葉仮名の分析から上代日本語の音価をすべて推定して見せている。さらにアクセントの研究を経て、書紀などの歌謡が当時どのようなアクセントで発音されていたかまで復元しおおせている。ここら辺は、発音記号やアクセント記号が私にはよくわからないので、いまいち実感できないけれど、凄い成果なんだろう。
議論にはまだ先があって、音韻の次は文法の話になり、巻ごとの倭習(日本人ならではの文法ミス)の指摘やその発生の理由などの議論を経、また日本人が書いたとしたら意味が通らない註の存在を考慮し、正しい中国音と正格漢文で書かれた部分が渡来一世の中国人によって書かれたのだと結論する。
そして、その当時正史編纂に関わるような人物で、渡来一世の中国人を捜してみると、律令制当時における大学のようなところで音博士(こえのはかせ)という音韻を教える役職に就いていた、続守言(しょくしゅげん)と薩弘格(さつこうかく)の二人が浮上する。森氏はこの二人が最初にα群の述作をし、その後それ以外の巻を日本人が担当し、さらに日本人による中国の典籍を用いた潤色を行ったという、編修の具体的過程をも推論してみせる。
いやあ、凄い。音韻、文法といったほとんど文字情報しかない状況から、日本書紀がこれだけ立体的な像を結んでいくさまは暗号解読にも似た面白さがある。述作者と編修過程の具体的状況については論拠が少なく、やや安易に結論づけているきらいはあるが、途中の議論の展開は手堅く説得的で、隙がない。少なくとも私にはそう見える。
専門的な知識が逐一解説付きで紹介され、好奇心を刺激されながら、日本書紀中国人述作説にいたる謎解きが展開していくわけで、これが面白くないわけがない。一般向け学術書の理想的な一例といってもいいのではないかと思う。森氏は後書きで、この本を書くために生まれてきたとまで言っているのも、誇張ではないと思える。素人目に見ても、この本で論じられている説は国語学史上の画期をなすようなものに見える。学会的な評価はどうなっているのだろうか。専門誌で他の学者と論争があったようだけれど、それも気になる。
何よりも知的エンターテイメントとし楽しめ、学問の面白さを教えてくれる一冊だ。古代史、古代日本語、国語学などに興味のある人は多少専門的な部分が読みづらいけれども、是非とも一読することを勧めたい。
●倉西裕子「「記紀」はいかにして成立したか」講談社選書メチエ
これも書紀、古事記の成立にかかわる問題を追求した本で、硬派で手堅い論述が読める。やはり専門的な問題を扱っていて、そう読みやすい本ではないけれど、非常に興味深い問題を論じている。
ひとつは、古事記と日本書紀では、「天皇」概念に大きな違いがあるのではないかということだ。古事記と書紀では、たとえば神代に関して、書紀本文ではイザナミが死なないので黄泉の話がないとか、創成の神名にかなり違いがあるとか、「記紀」としてしばしば一緒くたにされたり混同されたりしているけれど、基本的な編纂思想そのものに大きな差異があることはずいぶん言われてきていることだった。天智天皇による指示で作られ、成立時期も近いけれど、両者は似て非なるものだ。
本書では、その差異の問題について記紀それぞれの天皇概念の違いというアプローチで一端の解明を試みている。著者が述べる結論はこうだ。
つまり、書紀での「天皇」とは皇孫として祭祀王の位にあるもので、古事記の「天皇」とは、政治的権力の頂点に立つもの、として書紀と古事記における「天皇」概念が似て非なるものである、と言う。
これはなかなか斬新な見解。こういう風な解釈をした人はいままで見たことがなかった(と思う)ので非常に面白い。
この天皇概念の整理から、著者は持統朝でのさまざまな問題についてもいろいろ新解釈を引き出していて、とても興味深い。持統称制と呼ばれる、持統元年から持統三年までの三年間は、持統天皇は即位式を行っておらず、実質的には天皇不在の年間なのだけれど、書紀の紀年上は持統年間として把握されているという謎がある。この三年のブランクについて、著者は、その年間は草壁皇子が「治天下の権」(正確かどうかわからないけれど、以下略して治世権)を握っており、当時は草壁皇子が天皇と呼ばれていたのではないか、とも推測している。そして、このように紀年にブランクが空いた理由を、持統朝と書紀編纂の当時とでは、天皇概念に変更が生じたからではないかと結論づけている。この、在位当時と編纂時で天皇概念に違いが生まれたという問題は、この説がもたらした新たな謎と言える。ここに史書成立にまつわる何らかの事情が絡んでいる可能性を著者は指摘している。
また、書紀では祭祀権こそが天皇の核心だとすると、皇太子が治世権を握っていると著者は論じていて、だとすると、天皇位を譲るということの意味が違って見える。皇太子が治世権を持つものだとすると、皇族の者にとって必ずしも望まれる位ではないものだった可能性が出てくる。そうすると、古代史での権力争いについてもいろいろ新解釈が可能になってくる。著者は持統朝や大化の改新においてその観点からの再解釈を促してもいる。
もう一つの大きな謎、「日本書紀」が成立当初(正確には、「続日本紀」養老四年の記述)は「日本紀」と呼ばれていた、ことと「日本紀」では紀三十巻と系図一巻という構成であった、という書紀成立にまつわる長年の謎についても、興味深い見解を披露している。
この「紀」と「書」というネーミングからしてまず厄介。「紀」というのは編年体の史書、「書」というのは紀伝体の史書を指す言葉で、日本書紀はその体裁から「紀」と称するのが本来のはずで、「書紀」というネーミングはそもそも妙だった。Wikipediaでの「日本書紀」の項からこれにかんする通説を引用する。
著者はこれらの定説に対して、養老四年に修められた「日本紀」と現存の「日本書紀」は別のものだとする説を提示している。朝廷で行われた書紀の講書記録、「日本書紀私記」のいくつかのバリアントうち、甲本と呼ばれる「日本紀私記」においては、現存「日本書紀」に存在しない語句が約八十存在することが指摘されていることなどを挙げ、現「日本書紀」とは異なる書紀の存在する可能性を示唆する。著者は最終的に、、養老四年の「日本紀」は成立以降に系図一巻を組み込む形で再編され、遅くとも八一三年の弘仁四年までには現存の「日本書紀」として完成していたのではないか、というものだ。その再編で、系図を組み込んだために「書」を書名に挿入した、と論じている(本文はこんなおおざっぱな書き方ではない)。
この説も、説得的かつ面白い。書紀の書名についての謎(特に、書名と系図)をもっとも明快に説明した論、かも。少なくとも、上記に引用した通説よりは無理がない。素人目には面白いけれど、証拠の面で弱いかなとは感じる。
この人は、前著「日本書紀の真実」で日本書紀の紀年論というとても面倒くさそうな分野を扱っている。編年体の歴史書である書紀の年代設定には多くの謎があり、実際の年代との不整合や、長寿すぎる天皇、宋書などの中国の史書に見られる「倭の五王」とは実際にどの天皇のことを指しているのか、といったような研究史上未解明の問題などを含んでいる。在野の研究者でなおかつ、地味っぽくて手間のかかる分野で手堅く論証しようとする、なかなか面白い人なのだけれど、書名がちょっとばかりトンデモ臭いところがあって、誤解を招きそうなところがあると思う。「日本書紀の真実」とか、本書の副題「「天」の史書と「地」の史書」とかいうネーミングが微妙だ。後者のは読んでみれば意味するところがわかるのだけれど、最初私が見たときはものすごいうさんくささを感じた。
歴史学の倉西裕子およびその双子の姉妹で政治学の倉西雅子によるウェブサイト
倉西先生のご学問所
海野弘には「陰謀の世界史」という大著があるけれど、この本はそのスピンアウトとして、日本における大アジア主義について書いている。私は「世界史」の方は読んでいないけれど、知人が部屋に置いていったこれを読んでみたところ結構面白い。記述そのものはあまり踏み込んだものではなく、調べながら書いている感じがあるのだけれど、逆に大アジア主義とか戦前の右翼がどうとかの話に疎い私にはちょうどよいくらいだったようだ。
著者ははじめにこう述べている。
これに先立ち、著者は、満州にはヒトラーに追われたユダヤ人を受け入れ、それによってアメリカの資本を満州に出資させ、繁栄させようという計画があったことにふれる。「フグ計画」と呼ばれたそれはアメリカの拒否によって頓挫するけれど、日本はそこではじめて「ユダヤ」と関わることになったという。
ユダヤのみならず、イスラムなどとの関わりもまた、満州を起点にしていると著者は言う。満州が、大陸的なものとのつながりの重要な起点になったという。本書で著者が重要なキーワードとして挙げるもののいくつか、日猶同祖論、アルタイ語起源論、大東亜共栄圏、騎馬民族説などは、日本とアジアとのつながりを強く意識したものだ。
しかし、このうちの多くの説は戦後臭いものに蓋をするように省みられなくなってしまう。これらの歴史の記憶が失われてしまったことが、陰謀、幻想として地下に息づくことになる。著者は次のように述べる。
だからこそ、それらのセオリーを読み直し、歴史に位置付け直さなければならないのだろう。戦時を東京裁判によって葬ってしまうことで、アジアとの結びつきもまた失われてしまった、と著者は言う。また、曲がりなりにも戦前の日本人が持っていた世界的想像力が失われてしまい、目の前の小さい穴を掘るだけになってしまったのだとも。
この本はそうした、戦前戦中と戦後との断絶を描き出している。歴史が途切れてしまっているために、戦前のセオリーが妙な形で復活したり、大東亜共栄圏などの自大主義な理論を敬遠するあまり矮小な世界だけに閉じこもってしまったりしていると嘆いている。
私が特に興味深く思ったのは日本語の起源と、騎馬民族説を扱った部分だ。
日本語の起源の章では、大野晋のタミル語起源説があっさりと否定され、アメリカや韓国の研究を参照して最近の成果を紹介している。(大野のはそもそも方法論的に問題外、というのが有力なようだ。それはここの大野批判1批判2批判3などを見ると何となくわかる)韓国での最新の研究では、失われた言葉である高句麗語の復元が進み、どうやらそれが朝鮮語と日本語とをつなぐリンクであるという説があるそうだ。宋敏の「韓国語と日本語のあいだ」によると、「高句麗語は日本語の疎遠性を南方系の要素として解決しようとする態度をほとんど無力にしうるほど言語的に日本に近い」そうだ。これはなかなか面白い。ただ、この説の学術的評価はいかなるものかはよくわからない。日本の古代はどう考えても中国や朝鮮半島との関係が密なはずなので、オーストロネシアとかアルタイ語族などと直接関連づけるよりははるかに説得的なようにも素人目にはみえるけれど。
騎馬民族の章で面白いのは、学説的にはいまや過去のものとして見られている江上波夫のこの説に対して海野が提出している批判だ。騎馬民族説とは、ユーラシアからきた騎馬民族が四世紀ごろに日本に侵入、征服し、それがいまの天皇家の祖先である、という説だ。考古学的にも歴史学的にもほとんど根拠のない説といわれるけれど、確かに、皇国史観に対するアンチテーゼとしては面白くはあると思う。しかし海野は、江上波夫が近代化は騎馬民族にしかできない、という騎馬民族、農耕民族の二元論を唱えていることを指摘する。日本は騎馬民族系なので近代化できたが、中国は農耕民族なので近代化はできない、と江上は言う。これは一種の差別主義だ。そして騎馬民族説が征服者の視点からの理論であることを指摘し、皇国史観に対するものとして提出された騎馬民族説が実際は征服者の視点から説かれたものであり、近代化できない農耕民族を優秀な騎馬民族たる日本が近代化させてやるという形で、日本の帝国主義を正当化することに、無意識にであれ加担していると批判する。
幾つかの本では騎馬民族説については、過去の学説か、あるいは面白いが賛同できない、というような言及ばかりだったけれど、ここでの批判はかなり考えさせられるものがある。海野は同時に、戦後に提出された騎馬民族説が戦前のモンゴルで発想されたことを指摘している。
戦後、戦前を臭いものに蓋をするようにして、正面から総括することが出来なかったためか、戦前的なものがにわかに浮上してくる。個人的に驚いたのは、ネットでの中国やアジアの国々に対するヘイトスピーチにおいて、騎馬民族説において江上が見せたのと同じ差別主義的言説がいまも現役だったりすることだ。
●黒田基樹「百姓から見た戦国大名」ちくま新書
ほんとうは藤木久志「戦国の作法 村の紛争解決」(なんて面白そうなタイトルだろう)という本を読みたかったのだけれど、もうずっと品切れらしく、そんなおり本書が出ているのを知った。戦国時代、というと支配階級である武将の話ばかりで、直接戦争に関わらない人たちがどのような暮らしを送っていたか、ということはあまり話題にならないしよくわからない。私は戦国武将についてあんまり興味がなくて(全然知らない)、むしろ当時の日常的な生活のあり方がどうだったのかを知りたかったので、百姓を視点に据えた本書の叙述は非常に興味深く読めた。
●戦争と飢饉の時代
この本ではまず、戦国時代とは戦争と飢饉の時代であることを強調する。戦争と飢饉が慢性化し日常となった時代だという。そして、戦争と飢饉のなかで窮乏にあえぐ人々は、当然その改善を大名に要求するわけで、その世直しの声が大きくなって実際に大名の代替わりの契機とすらなることを史料から指摘してみせる。
また、武田信玄の父に対するクーデターについて、当時の史料からクーデター時に甲斐国はかなりの飢饉であったこと、父信虎については動物すらも悩ます悪政と呼ばれ、信玄が救世主扱いすらされており、クーデター後に信虎派の反撃がまったくなかったことなどから、信玄の行動は窮乏に陥った甲斐国の民衆の強い世直しの声に押されたものだっただろうことを明らかにしている。むしろ、ここで世直しの声に従わなければ武田氏の存続そのものにかかわる事態だったのではないかと言う。
つまり、大名とはいってもやはり生産者として国を支える農民、民衆の声を無視できるわけではない、という実に当たり前のことが指摘されるのだけれど、これがなかなか新鮮だったりする。やはり大名、戦国時代などには支配者である大名とその下で年貢の重圧に苛まれる農民、といったようなわりあい一面的なイメージがあったのだけれど、本書はそういった印象を具体的な事例に基づいて丁寧にかつ鮮やかにひっくり返して見せる。
話を戻すが、戦国時代の飢饉というのは江戸後期で大飢饉と呼ばれたようなものがほとんど日常となっていたほどだったという。作物の収穫の端境期ではつねに人の死亡率が上昇し、日々生きるか死ぬかの瀬戸際にあった。そしてさらに、文字通り戦争がたびたび起こっていた内戦の時代でもあるのだけれど、戦争はどこか空中で行われるわけではなく、常にどこかで誰かの領地において戦われていたということを忘れてはならない。ひらたくいえば、どこかに攻め込むということは同時にその領地で破壊行為を行い、作物を奪取する略奪と表裏一体だったということだ。
さらに、足軽たちが戦争に参加することには、端境期に出稼ぎに出ることによる村の口減らしと、侵攻先での略奪で財を得るという一石二鳥の意味もあった。これは大名の戦争にも言える。つまり、収穫期に敵地に侵攻し作物を略奪することや、端境期に人員を送り込んで領内での口減らしを図ることなどが、そもそも大名の戦争の理由にすらなっていたのではないか、と推測される。
飢饉での食糧不足から敵地に侵攻、略奪し、略奪された側は耕地や村を荒らされ、民衆を奴隷にされたり奴隷商人に売り飛ばされ、作物や耕作具を奪われたり破壊されたりすることによって、また飢饉に陥る。戦国時代とはこのような悪循環に見舞われた過酷な時代だった。これがこの著者の提示する戦国時代像だ。
●生存のための共同体
では、人々はその過酷な時代をどうやって生き抜いていったのか。そこで注目されるのが村だ。村とは言っても、自然に形成された人々が集まり住んでいるところ、というものとは違い、領地の占有、構成員の認定、構成員に対する徴税、立法、警察等諸権力の行使を行い、私権を制限する一種の公権力として存在する政治的共同体として形成された村だ。さらには当時の人々は皆武器を持っており、対外的に武力を行使することもあった。そして、村の行動については構成員が全員参加する寄合によって決定される。
これはすでに小国家とも呼ぶべき存在だ。なぜこのような強固な政治的共同体が形成されたかについて、著者は以下のように書いている。
用益をめぐる日常的な対立が、村同士の関係に多大な緊張をもたらし、ために村それ自体が抗争と防衛のための組織化を必要とした訳だ。
そして、しばしば抗争は周囲の村々を巻き込んで大規模な「合戦」(村同士の抗争もまた合戦と呼ばれた)となっていくことがあった。用益をめぐるいさかいが抗争となり、兵具を用いた抗争に発展していくなかで、同盟関係にある村々へ「合力」を求めるためだ。面白いのはこの合力はただで行われるわけではなく、かなりの額の報酬が支払われている。報酬は村の数年分の年貢に匹敵する額にもなり、借金でまかって何年かかけて返済していく。つまり、用益が生存のためのものである以上、相当の負担を支払っても守らねばならないものだったということだと著者はいう。
だからこそ、合戦は拡大していく。当時の村同士の抗争のなかには土地の領主が調停に現れたりする例が見られる。つまり、領主でなければ仲裁不能なまでに抗争が拡大することがあったということらしい。領主にとっても年貢という収入源であるだけことをなおざりにはできない。だから、中世における「領主同士の合戦と見られたものの根底には、こうした村同士の用益をめぐる紛争があった可能性は、限りなく高い」と著者は論じている。
●大名と村の契約
村にとって用益が、村同士の抗争を引き起こすほど重要だったように、領国を治める大名にも、その国の成り立ちにとって、村がきわめて大きな意味を持っていた。村はすなわち年貢が生産される財源であり、村が豊かであることが同時に国が豊かであることに繋がる。大名もそれは認識していて、農民からの搾取に他ならない華美を戒め、倹約を勧めることが国を豊かにし、戦争にも勝つことになる、と言っている。
年貢の収受、公事の割り当て、法令の施行など、その領国支配において大名は個々の村人と直接交渉するのでなしに、すべて村単位を相手にしており、これを「村請」と呼ぶ。
この「村請」は、村と大名という法人格を持つもの同士の契約だったと著者は言う。支配する側とされる側という社会的、身分的な格差があったものの、お互いが主体となり、互いに相手に対して義務を負う双務的な社会契約だったという。
領主は、村の耕作地としての整備や、資金の貸し付け等を果たすことで、年貢を取り立てる資格を得、また抗争の折りには「合力」し、村の存立、安穏、平和を保障することが課せられる。
対して村は、年貢や公事などの税金を負担する。
この関係は契約である以上、絶対ではなく、たとえば領主が村を防衛しきれなかった場合、村は以前の領主を失格と判断し、侵攻してきたより強い領主の支配下に入り、以前の契約関係を一方的に破棄したりした。また、以下のようなストライキを行うこともあったという。
適切な対応をとらなければ農民はよそに移動したり、没落したりして、不作発生し、年貢などの収取が滞り、国の存立の危機に瀕する。
国にとっても百姓たちの村の豊かさを維持することが重要であり、それなくして大名自身の安寧もなかった。そのような社会状況のなかでは、上記のごとき領主と村との契約はきわめて大きな意味を持っていたのだろう。
この本が面白いのは、この時代における具体的生存の困難さという前提から、生きるための即物的な必要性の点から、当時の社会のダイナミクスを見ていくという視点だ。飢えた農民の声によって代替わりを余儀なくされたり、飢餓の時期に他国へ略奪に行く戦国大名、生存のために大規模な紛争まで起こす武装した村々等、即物的な俗っぷりが興味深いことこの上ない。
また、後半では戦国時代の地域国家を、御国のための徴用や法制度などの観点から国民国家の原形として見ていくなど、「国家」という視点からも非常に面白い。そこでもやはり即物的な生活に根ざす、経済的な視点があり、おそらくタイトルの「百姓」とはそうした生活にまつわる観点に由来しているのだろう。
戦国時代、人々の日常的な生活はどうだったのか、ということについて、きわめて具体的な生活、経済の観点から論述されていて、非常に興味深い内容だった。歴史はやはり、当時において人々の生活や行動がどういうものだったのかということを知るのが面白い。そこでは昔の人はこうだったのか、というのを知るのとともに、昔からこうだったのか、というのもまたわかる。
法、国家という概念や、「逃散」に見られる労働と生活という視点は、いまでもなお重要な問題であり、それが百姓という生活の起点の場から眺められている本書の記述は様々な意味で現代においても示唆的だ。非常に面白い本です。この本で多く参照されている藤木久志氏や蔵持重裕氏の仕事もそのうち読んでみたいと思う、そのうち。
後半の分国法や喧嘩両成敗法については以下で紹介した「喧嘩両成敗の誕生」も併せて読むと良いかと。
http://inthewall.blogtribe.org/entry-6841f1a338b566d629a8896f70af1839.html
群像1月号に発表された「だいにっほん、おんたこめいわく史」の七ヶ月ぶりの続篇。だいたい三百枚弱。
前作の狂騒的な文体とはうってかわって、かなり落ち着いた雰囲気がある。冒頭の木の描写など、静かななかに嵐を訪れを感じさせるようなものがあり、それが今作全体の印象につながっている。次作を読まないことには確定できないが、今作は、次の段階へ向けての地固め、足慣らしという位置づけになるのではないかと思う。
今作では、前作「めいわく史」で首を吊って死んだみたこ教信者埴輪木綿助の妹、埴輪いぶきをメインにして語り始められる。このいぶきという女性、いったんおんたこの遊郭で殺されていて、それが蘇ってきたという存在だ。そして、舞台となっているS倉では、この死者の蘇りという現象は日常的な光景として定着しつつあるようだ。
いぶきは何かを手伝おうと街をうろつき、そこから見える情景のなかに、2060年のだいにっほん、S倉の置かれた状況が見えてくる。「めいわく史」で描かれたみたこ教弾圧事件からもずいぶん経ち(実際何年経ったのかははっきりしない)、死者の蘇りという異常事態も、おんたこ政府の黙殺により特に問題化しているようにはみえず、とりあえずの落ち着きがあるようだ。
しかし、蘇った死者が、おんたこアートでできた小さなフィギュアに入り込み、それを買ったおんたこを殺してしまうという事件が相次いで起きている。それもまたおんたこは無視している。おんたこ殺しのフィギュアに死者を入れる施設などがあるにもかかわらず、あまりアングラな雰囲気はない。今作では、おんたこの無為無策ぶりがかなり強調されている。
話がとくに進んでいるわけではないが、今作の時間軸は「めいわく史」から数十年ほど経過しているらしいことがわかる。一応確認した限りでの作品の時間軸を書いてみる。(全部チェックしたわけではないので、明確な記述があれば訂正します)
浄泥の死亡年 1760年
野之百合子の生年 1950年代
ウラミズモとS倉の利根川の橋 2002年
めいわく史 2010年あたり(百合子失踪から十年と数えて)
おげれつ記 2060年
めいわく史(みたこ教弾圧事件)がいつの出来事なのか見た限り判然としなかったが、百合子失踪の時期から逆算すると、以上のようになる。「めいわく史」からおよそ五十年が経っているらしい。しかし、数十年経ってるとすると不思議に思える点もある。
「おげれつ記」は二、三度読み返したが、前回の延長上にあるので、あまり書くことがない。これだけだと記事として短いかと思ってまとめずにいたら読んでからずいぶん時間が経ってしまった。
目新しい点としてはネオリベラリズムへの言及がある。それについては参考に挙げられている以下の本は問題を知るには適当かと思われるので、IMFがどうしたのか、という人は読むと良いと思う。私も、IMFの下りはよくわからなかったが、融資と引き替えに政策への干渉(ネオリベ化への)を行っているというのを読んで腑に落ちた。
IMF Wikipedia
作品の感想としてはPanzaさんのこのエントリがある。ポイントを網羅していて私の記事より有益。
さて、Panzaさんは様々な事柄が「線的にではなく全体として族生している小説」と評している。「だいにっほん」の連作で大々的に取り入れられている新機軸として、複数の人物の複数の語り、複数の思考が重層的に折り重なっていることが挙げられる。一人称での暴走気味にドライブする語りが特徴的だった笙野作品としては初めてではないだろうか(複数人物を据えた作品があったか思い出せない)。
もちろん、全三部予定の大部の作品を成立させるのには「水晶内制度」や「金毘羅」的な一人称文体では無理だということなのだろう。前作でも、火星人落語やら「おたい」やら小説内小説やら、とかなり多彩な語り口を用意して見せたが、今回はそれほど派手ではない。が、「おげれつ記」では、各人の思考がたどられていくうちに、焦点人物となっている人物のあいだに微妙に緊張関係が存在することが示唆されている。冒頭での主人公、埴輪木綿助の妹、いぶきは、兄に対しても、知り合った「おたい」に対しても時に批判的なことを語る。また、作中での「笙野頼子」の語りに対しても、部分的にしかわからないといい、また笙野らに対しても距離のある態度をとっている。
作中での「笙野頼子」が主張するような様々なおんたこ批判は、確かに「だいにっほん」連作の根幹でもあるのだけれど、決してそれが小説内で無批判に是とされているわけではない、ということだ。いぶきのような人物によって、それは不断に相対化され、批判的に眺められることになる。いぶきにとって、「笙野頼子」らの言うことにはどこか違和感がつきまとい、どうにも信頼しきれるものとは思われていない。これは、「水晶内制度」がそうだったように、見えなくされていたものを見えるようにする、という抵抗の運動が、またさらに何かを見えなくしてしまうのではないか、という疑念から来ているように思う。そのような疑念が、今作では複数人物の相互の距離感によって表現されているのではないか。
佐藤亜紀が「小説のストラテジー」で読み込んでみたように、笙野頼子の文体には相互に矛盾し合うような要素を一緒くたにしたような猥雑さがある。単線的にある主張を述べるのではなく、一つを語ったと思ったらそれに反する要素がすぐさま投入されて、相互矛盾する諸要素が反発しあいながら語りを駆動するところがある。それが「だいにっほん」連作では一人称文体での異様なドライブ(「金毘羅」「水晶内制度」)を抑えつつ、登場人物同士の距離感として、面的な広がりを持つように構成されていると考えられる。まあ、長いものを書こうとすればこうなるのは当然か。
●宗教に関して
作中で言及されている、熊楠の合祀反対論。
●南方熊楠 神社合祀
村上重良「国家神道」岩波新書
宗教学者による国家神道の概説書。この本には様々な批判があるが、通説的な手堅い概説としては良い。(これへの批判として、葦津珍彦や新田均の神道見直し論があり、さらにそれらへの再批判として子安宣邦の「国家と祭祀」が書かれている。子安のは買ったのでいずれ読む)
冒頭で村上が解説している宗教学における二分法が興味深い。そこでは、民族などの共同体のなかで生まれた信仰と、特定の創始者を持つ宗教とを分けて、前者を民族宗教、自然宗教、後者を創唱宗教と呼んでいる。民族宗教とは、神道、原始宗教、ユダヤ教、ヒンズー教、道教などの、共同体に由来し社会的共同体と宗教的共同体が一致するもので、創唱宗教ではそうではない。これは伝播形式による分類で、つまり、民族宗教とはそれが生まれた共同体以外には広まらないもので、創唱宗教は世界的に広まりうる普遍性を持ったものだと言う。
民族宗教もまた発展していくと創唱宗教と類似していき、特定集団以外にも進出していくが、神道はそれとは異なった道をたどるという。神道は、仏教、儒教、道教、キリスト教などと習合し展開してきたが、核心は「原始宗教以来の共同体の祭祀」であり、「日本社会の外に伝播する条件を完全に欠いた」「原始宗教的な特異な宗教」だと村上は述べる。
ここで、笙野頼子がしばしば用いる用語を上の文脈につなげると、こうなる。
基層信仰=民族宗教=共同体
普遍宗教=創唱宗教=個人
共同体の祭祀、儀礼といった自然発生的なものを起源に持つ民族宗教と、創始者という個人が起源にある創唱宗教との違いはわかりやすい。笙野が、個人の内面を強調し、明治政府の宗教政策を批判するのは、この違いを意識してのことだろう。そして注意すべきなのは、神道が政府に国教化されることには猛烈に抵抗し批判するが、民俗的な信仰を拒否するのではなく、あくまで個人の立場からそれを信仰しようとしていることだ。明治政府を、基層信仰を個人的内面の圧殺のために用いたとして批判するが、笙野は逆に、基層信仰に個人の内面という問題を導入する試み、といえるかも知れない。
義江彰夫「神仏習合」では、律令国家から中世までの神仏習合の歴史を語っていたけれど、この本では明治の神仏分離の政策の展開を追って、神と仏とが国家または神道派の人々によって切断されていく歴史を語る。
神仏分離や廃仏毀釈といわれても、ほとんど知識もなかったけれど、これを読むと、当時行われた神仏分離政策が、それまでの宗教生活に対してどれほど大きな影響を与えたのかがわかる。
下手な要約をするより、安丸氏が「はじめに」で書いているのを見た方がはやい。
近代国家形成の過程で、神道国教化政策が採られ、民俗信仰が抑圧されていく。神仏分離とは、それまでの混沌とした民衆的信仰形態を、神道の元に一元化していこうという動きであり、そこでは民衆の日常的生活にも多大なる影響を与えたという。
本書では維新以前の江戸期の排仏論、キリシタン禁制などを参照しつつ、宗教という国家にとっての厄介な代物についての分析から始めている。本書はその意味で宗教と政治の微妙な関係の歴史でもある。
著者は、明治政府が王政復古を打ち出した理由として、クーデター政権であった維新政府が自身の権威を正当化するために、幼い明治天皇を擁立し神権的天皇制のイデオロギーを利用した、という。ここで、あくまで神道を政治利用の手段とした政府の中心人物たちと、復古の幻想を抱く国学者や神道家たちとのあいだには、温度差があった。この差は、じっさいに神仏分離令の運用の場で、政府と神道家たちとのあいだの対立を招いている。
慶応四年の神仏分離の諸布告で、神道家の急進派の集団が日吉山王社に押し入り、力づくで廃仏毀釈を実行するという事件が起きている。この事件は、政府にとっても尚早であり、また民衆にとっても恐怖と不安を植え付ける結果となった。神仏分離政策においては、国学などの隆盛もあって、それまでの仏教上位の環境に対する強い不満を抱く神道家と、過激な展開を望んでいるわけではない政府と、宗教生活の転換に直面する民衆という三者が存在している。農民たちは神仏分離のなかで自らの生活の土台の変化におびえ、山門擁護のために蜂起するなどの事件まで起こしている。
初期の時点では神仏分離を速やかに推進することができたのは、一部の神道系の勢力が強いところに限られていた。
また、仏教側では、政府の一連の政策に危機感を抱いていたが、そのとき政府に対して、仏教はこれまで民衆教化の実績があるから、神道を基本とする教諭を行うこと、キリスト教から民衆を守ることなどの役目を国家から承認されることを求めている。
その後、神仏分離、廃仏毀釈政策が進展していくなかで、民衆生活において起こったことを、著者はこうまとめている。
著者の民衆と権力という対立の図式が顕著で問題なしとは思えないけれども、大筋としてはそうなのだろう。各町村で行われた神社改めや、修験の中心地出羽三山の神道化など、多くの信仰が大々的な改変を被り、各地の神社などでも習合的な性格の神格を無理に神道側に組み込んだり、それまでまったく祀られていなかった神格に変更したりするなどの政策が採られた。
詳細な事例は本を当たってほしいが、このような宗教体系の大きな改変が民衆の日常的な生活風景に影響を与えないわけがないだろう。神社数の大幅な減少はそのまま町村の風景を変えただろう。そして、広く行われた祭神の変更は、一種の歴史の忘却をもたらしたのではないだろうか。おそらく、近代から現代にいたる日本の宗教的なものに対する考えは、この時期の神道国教化政策と神仏分離、廃仏毀釈の影響を強く受けているのではないかと思う。日本の伝統、と思われているもののうちのいくつかは、この時期に改変を被ったきわめて近代的なものなのではないか。
神道が宗教ではなく、儀礼、習俗とされたのも、外部からの圧力(キリシタン禁制はキリスト教圏の国から非難された)で「信教の自由」を認めざるを得なくなったときに、教派神道が分離するという流れでのなかでのことだった。国家神道は神道非宗教説に立つが、「実際には宗教として機能しながら、近代国家の制度上のタテマエとしては、儀礼や習俗だと強弁されることになった。そして、この祭儀へと後退した神道を、イデオロギー的な内実から補ったのが教育勅語である」という風に、教化を伴うものであった。当時の政府が認めた「信教の自由」にしたところで、国家の秩序を脅かさない限りでという限定付きのものであり、神社崇拝という国教に背かない限りでのものだった。宗教が国家的に再編成された、ということだろう。
しかし、神道国教化政策、とはいっても、依然仏教の影響力、信者数、僧侶の数などなどにおいて、神道勢力は明らかに劣位にあり、神道の説教などもかなりの部分を僧侶がやっていたりするなど、名目的な位置と、じっさいの力関係はかなり食い違っていたようでもある。ここら辺が、一部の人間による廃仏毀釈の強行をもたらした不満、不安の源でもあっただろうと思われる。
ちなみに、安丸氏は「一揆・監獄・コスモロジー」のなかで、「国家神道」という言葉は、敗戦後アメリカが出した「神道指令」のなかの「State Shinto」の訳語である、ということに注意を促している。
なお、明治に復活した神祇官、神祇省などの省庁でも、国学者同士での勢力争いが存在していて、伊勢・天照大神派と、平田篤胤が提示した、大国主を冥界の神とする出雲系とが対立していた。この本でも出雲の国造、千家尊福が巡幸したとき、明治天皇のときのそれに匹敵する反応を引き起こしたことが書かれているけれど、そこら辺の詳しい事情は原武史の「<出雲>という思想」(講談社学術文庫)に書かれているので、興味のある方は是非参照を。面白い本です。
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2007年05月01日
四冊の「日本語の歴史」 [ books ]
●山口仲美「日本語の歴史」岩波新書
![]() | 日本語の歴史 山口 仲美著 岩波書店 (2006.5) bk1で詳細を見る |
前回の「日本書紀の謎を解く」を読んで、上代日本語とか日本語の歴史に興味が出てきたので、手軽に一冊読んでみた。簡潔かついろいろなトリビアを取り込んで面白い読み物として仕上げられていて、なかなか良い。前回書いた、上代日本語の八十七の音節だとか、倭習の強い漢文の話、そして日本語が文字においては漢字に全面的に依存して出来た言語(カタカナもひらがなも漢字を元にしている)であることなど、古代のことから近現代まで、ダイジェスト風に歴史をたどることができる。
ネットのレビューなどでは、鎌倉室町時代の、係り結びの消滅と主格を表す助詞の活用による、論理的な文章への変化を叙述したところが評判がよい。日本語が非論理的なのではなく、論理的に整備された言語を論理的に使えないのが問題だということで、まあ、こういった日本語の非論理性を否定する議論そのものはずいぶん前からあるものなので、目新しさはないけれど、情緒を強調する係り結びからの変化として歴史的にとらえたところは面白い。
しかし、新書なため、やはり物足りない部分も多い。
●「日本語の歴史」平凡社ライブラリー
![]() | 日本語の歴史 1 民族の言葉の誕生 亀井 孝編集委員 / 大藤 時彦編集委員 / 山田 俊雄編集委員 平凡社 (2006.11) bk1で詳細を見る |
そこで、折よく刊行が始まっていた大冊のこの「日本語の歴史」に手を出すことにした。1965年に完結を見たシリーズで、上記新書の参考文献としても挙げられていて伝説的名著と言われていたらしい。各四、五百頁で全七巻と小島信夫の「別れる理由」くらい、あるいは「失われた時を求めて」の半分くらい長いものだけれど、とりあえず三巻まで通読。もっとも内容をきちんと把握できている自信はまるでない。やはり内容が濃いうえにあまり手を出してこなかったジャンルなので。なお、本来はこれに「言語史研究入門」という方法論的なことを扱ったらしい別巻があり、全八巻だったのだけれど、平凡社ライブラリー版では刊行予定にない。どうせなら出せばいいのに。
このシリーズ、第一巻が、日本語の歴史は日本民族の歴史である、として、日本の始まりから話が始まるのが特徴。歴史学、考古学、人類学などの学問を動員して、まずは日本民族がどこから来たかを論じる。執筆に江上波夫が入っていて、騎馬民族説に結構な頁を割いているところなどいまにしてみれば古くなってしまった部分だけれど、紹介しつつも学説そのものについてはそれに依存するわけではなく、きちんと保留して論を進めている(これを読むと、騎馬民族説が戦後歴史学に与えたインパクトの大きさがわかる)。
一巻はそのまま、日本列島の起源から、日本語起源論、系統論を経て、文字以前の原初日本語の話へと至る。様々な知見が満載だけれど、初学者に優しい書き方とは言えない部分が多いので、よくわからない箇所も散在している印象。
そういえば、この巻には、古代日本人について、人種学、というか形質人類学、というのか、そういった視点から見た日本人の特質について論じている部分がある。そこでは、日本人の骨格にかんする調査が紹介されていて、それによると現代日本人は、畿内型と東北・裏日本型に分類することができるとされ、また、東北型はアイヌに近く、畿内型は朝鮮系に近いという。そして、もっとも代表的な畿内人は、東北型よりも朝鮮人に近いらしい。
これは、1949年から四年間、全国町村別に同一基準で測定された五万人を超えるデータに基づいて、小浜基次によって報告されたものらしい。この話、以前網野善彦の対談集で網野が発言していて(確か小熊英二との対談だったので、いまは小熊の対談集で読めるはず)、そのときは特に根拠も提示されずに語られていたので、排外主義的ナショナリズムに対して持ち出すには確かに面白すぎる話だけれど、ちょっとトンデモ臭いし、突っ込まれる隙になりゃしないかと思っていたのだけれど、どうも、網野はこの報告をもとに発言していたみたいだ。この調査と結論について、その後なんか議論があったかどうかは知らないが、骨格から見た調査では日本人の朝鮮系との近親性が確認されるというのは面白い。
知人は、朝鮮韓国にレイシズム発言を繰り返す奴に、おまえみたいな顔のことを朝鮮顔っつうんだよ、と言ったらぶち切れられて喧嘩になったらしい。爆笑ですね。
![]() | 日本語の歴史 2 文字とのめぐりあい 亀井 孝編集委員 / 大藤 時彦編集委員 / 山田 俊雄編集委員 平凡社 (2007.1) bk1で詳細を見る |
また、二巻は漢字伝来を扱って、非常に面白い巻になっている。しかしそこはこのシリーズ、漢字だけではなく、文字そのものの起源から話が始まる壮大さで、シャンポリオンの話などを盛り込んで、文字史の概説から漢字の話へ移行する。また、日本に漢字が輸入されるという国内的な事情のみではなく、朝鮮、ヴェトナムまでを包含する漢字文化圏について包括的な視点から周辺諸国が漢字の影響にさらされる様を描き出している。たとえば朝鮮では、なんとか漢字を用いて民族の言葉を表そうという努力がなされたけれど(「吏読」、「吐」、という方法があり、万葉仮名のようなものもあったらしい)、ついには漢字を放棄し、1443年「諺文(オンモン)」という文字を作り出した。これは漢字の原理を踏襲しつつ、アルファベットなどの表音性を導入して作られたものらしい。しかも成立当初は慕華思想が根強く、漢字を放棄するなどとんでもないことだと猛反発をくらい、実際に民族の文字として根付くには第二次大戦後の日本の植民地から解放されるのを待たなければならなかったという。いまではハングル(大いなる文字)と呼ばれている。ハングル - Wikipedia Wikipediaによると、ハングル公布が1446年となっていて、この本の記述と三年ずれてる。
ここには、日本とは違う漢字受容の歴史が語られている。開音節(音節が母音で終わる)のため、音節数が限られる日本語と、閉音節もあり音節数が多い朝鮮語とでは漢字との親和性が異なり、このような歴史をたどったということらしい。朝鮮以外にも、西夏文字、契丹文字など、中国周辺国での文字に関しても語られていて面白い。いくつかの国や民族では、漢字を基にして新しく造字したり(日本にも国字がある)した歴史が語られ興味深い。
また、ここで著者は、表音文字と表意文字という二分法に疑問を呈している。そして、漢字は正しくは、「表語文字」というべきだと述べている。これはなかなか得心のいく意見だと思った。
前回の書紀成立論にまつわる余談だけれど、この巻では、書紀の編纂メンバーとして続守言が関わっている可能性が指摘されている。まあ、漢文で書かれた書紀に、当時渡来人として漢文の知識を豊富に持っていただろう人物が関わっているだろうという推測自体は、しごく蓋然性の高いものとして考えられていたのだろう。森博達の議論はそれに裏付けを与えた形になるのか。
![]() | 日本語の歴史 3 言語芸術の花ひらく 亀井 孝編集委員 / 大藤 時彦編集委員 / 山田 俊雄編集委員 平凡社 (2007.3) bk1で詳細を見る |
三巻では日本語の言語芸術の歴史が語られる。紀貫之、「竹取物語」、「源氏物語」、などなどが出てくるけれど、私はこれらの文学にほとんど触れていないので、いまいち具体的に記述が理解できないことが多かった。もうちょっと論じているものの本文を引用してもらえるとよかったのだけれど。
また、文章がなかなかの名調子でさくさく読んでいくだけでも面白かったりする。項目ごとに違う執筆者の書いたものを、編集委員がリライトするという形で書かれたらしいのだけれど、ある項目は特に文章に勢いがあるな、と感じたりできて面白い。隔月刊行らしいのでゆっくり読んでいこうかと。私としては一巻の解説に語られている、六巻あたりの近現代あたりのことが面白そうだと期待している。
2007年04月21日
古代史・記紀成立論の二冊 [ books ]
●森博達「日本書紀の謎を解く」中公新書
![]() | 日本書紀の謎を解く 森 博達著 中央公論新社 (1999.10) bk1で詳細を見る |
ここ半年ほどのあいだに読んだ本のなかでもこれは格別の面白さ。タイトルに比して中身はかなり専門的な議論を下敷きにしている硬派の研究書でもある。ちょっと読みづらい。とはいえ、その面白さのせいで専門的な部分のわかりづらさも何とかなる。
古代史研究では、古事記もそうだけれど、日本書紀の記述の信頼性についてはつねに大きな問題として立ちはだかっていた。なにぶん、文献史料がそもそも書紀、古事記程度しかない時代についてのことなので、書紀の周辺史料から書紀の信頼性を確定することができない。批判的記紀研究の先駆け津田左右吉の議論においても、(引用されたものを読む限り)やはり具体的な根拠に欠けるせいか、そうも言えるし、こうも言えるという感じで議論が明確な叩き台を得られていないように思える。これまで、書紀を用いて古代史を論ずる前に行われるべき文献学が手薄だったと著者は指摘している。
私がいままでざっと読んできた書紀研究は津田のものを延長した、内容の相互矛盾などを検討していくタイプのもの(内容の整合性などから判断していく形)だったけれど、この本では、書紀の表記、文体といった形式面、「いかに書かれているか」という観点から徹底的に分析していくという試みになっている。いわば文献学的吟味を経て、最終的に「誰が書いているか?」を推理していくという謎解きが展開されていく。
そして、この文献学的研究による謎解きが滅法面白い。先が気になって仕方がないうえに、謎が解かれていく推論の展開がエキサイティングな学術エンターテイメントとして楽しめる。まるで推理小説のような面白さだと学術書やノンフィクションを褒める人がいるけれど、こういう面白い研究書を読むと、話が逆だと言いたくなる。推理小説が学問的探求のような面白さを持っていることがある、と言わねばならない。現実にある、本当の謎を解いていく、解こうとする面白さは、推理小説では味わえない。それに、私の印象では、この本のように面白い推理小説を読んだ覚えがない。最近出たシャーロック・ホームズの新訳ものを三冊ほど読んだけれど、どれもこの本ほど面白くはなかった。
で、この本の何がそんなに面白いのかというと、全三十巻の「日本書紀」という歴史書の文体、表記、文法を様々な観点から分析することで、それぞれの巻ごとに決定的な違いが見られること、その違いから述作者がどの言語に習熟している人物なのかを判別し、その情報を元に、書紀の各巻の書かれた順番と作者をすら推理してしまうというアクロバティック(トンデモという意味ではない)ともいえる論理展開だ。一種の犯人探しゲームといえる。
その犯人探しには平安以前の上代日本語の表記、文法、音韻の専門的知識、さらに漢語で書かれた書紀を分析するのに必須の当時の中国語のそれとを総動員していて、なおかつ契沖から本居宣長、橋本進吉、そして夭逝の秀才有坂秀世といった国語学、日本語学における偉大な学者たちの学説をおさらいしつつ書かれているので、読者は近世から現代に至る研究史のエッセンスを知ることができる。
余談だけれど、上代日本語においては、五十音(濁音ふくめて六十二)ではなく、八十七(八十八説もあり)種の音節を発音し分けていたことなどは、私はこの本で知った。そのほかにも、「兄弟」をキョウダイと読むのが呉音、ケイテイと読むのが漢音だとかの、漢字の読みにもいくつかの種類があることだとか、日本語学に疎い私には新鮮な知識が満載だ。
で、この本で核心になっているのは、上代日本語の音韻にかんする部分だ。それまで、万葉仮名(漢字の音を使って意味ではなく音を表記する仮名。語弊があるけれど、よろしく=夜露死苦みたいなもの)の分析により、八十七種の発音があったらしいことはわかっていたのだけれど、当時の音価(具体的にどう発音していたか)は不明だった。書紀などの万葉仮名を見れば、当時の音価もわかるかと思われたけれど、書紀の万葉仮名は中国語原音を正確に判別できない日本人によって書かれており、体系だっていないため音価推定の資料的価値はないとされてきた(有坂秀世による万葉仮名倭音依拠説)。砕いて言うと、当時のある音を表記する万葉仮名が、異なる中国語原音をもつ複数の漢字を脈絡なく用いていて、漢字音と当時の音価をイコールで結べないということ。
中国語原音によって万葉仮名が書かれていれば、当時の日本語の音価を正確に推定できるのに、この倭音依拠説が壁となっていた。しかし、森氏は巻ごとの万葉仮名を詳細に分析し(今ならパソコンを使って解析するのだろうけれど、当時パンチカードを使ってソートしたりしていた思い出を著者は書き込んでいる)、書紀のある一群の万葉仮名が、どうも倭音による混乱のない正確な体系に基づいて書かれているらしいことを発見する。
ここら辺は説明が厄介なので、実際に読んでみないとどこが凄いのかわからないけれど、本書のハイライトといってもいい、研究史上でも画期的な発見らしいところで、読んでいて手に汗握る興奮を覚えた。前回もリンクした言語学のサイトの以下のページでは、この本の下敷きになった論文の要約をしている。非常に参考になるので是非一読してください。
学問の部屋
さらに中国語の原音で書かれているとおぼしき部分の万葉仮名では、中国語を母語とする人間が日本語を聞き取ったときに発生する聞き間違いが存在するとして、その一群を中国人が書いたのではないかと推論していくあたりも非常に面白い部分だ。これは、日本語ネイティブが英語のLとRを区別しにくいように、中国語ネイティブも、日本語の濁音と鼻濁音を区別しないらしく、「バ」と「マ」、「ダ」と「ナ」が区別されていないとか、「ミズ」を「ミツ」と表記しているような、中国語ネイティブ特有の日本語の誤りが存在するらしい。
以上の議論から、書紀の内、森氏がα群と名付けた一群の巻は中国語原音に依拠していると結論づける。そして、α群の万葉仮名の分析から上代日本語の音価をすべて推定して見せている。さらにアクセントの研究を経て、書紀などの歌謡が当時どのようなアクセントで発音されていたかまで復元しおおせている。ここら辺は、発音記号やアクセント記号が私にはよくわからないので、いまいち実感できないけれど、凄い成果なんだろう。
議論にはまだ先があって、音韻の次は文法の話になり、巻ごとの倭習(日本人ならではの文法ミス)の指摘やその発生の理由などの議論を経、また日本人が書いたとしたら意味が通らない註の存在を考慮し、正しい中国音と正格漢文で書かれた部分が渡来一世の中国人によって書かれたのだと結論する。
そして、その当時正史編纂に関わるような人物で、渡来一世の中国人を捜してみると、律令制当時における大学のようなところで音博士(こえのはかせ)という音韻を教える役職に就いていた、続守言(しょくしゅげん)と薩弘格(さつこうかく)の二人が浮上する。森氏はこの二人が最初にα群の述作をし、その後それ以外の巻を日本人が担当し、さらに日本人による中国の典籍を用いた潤色を行ったという、編修の具体的過程をも推論してみせる。
いやあ、凄い。音韻、文法といったほとんど文字情報しかない状況から、日本書紀がこれだけ立体的な像を結んでいくさまは暗号解読にも似た面白さがある。述作者と編修過程の具体的状況については論拠が少なく、やや安易に結論づけているきらいはあるが、途中の議論の展開は手堅く説得的で、隙がない。少なくとも私にはそう見える。
専門的な知識が逐一解説付きで紹介され、好奇心を刺激されながら、日本書紀中国人述作説にいたる謎解きが展開していくわけで、これが面白くないわけがない。一般向け学術書の理想的な一例といってもいいのではないかと思う。森氏は後書きで、この本を書くために生まれてきたとまで言っているのも、誇張ではないと思える。素人目に見ても、この本で論じられている説は国語学史上の画期をなすようなものに見える。学会的な評価はどうなっているのだろうか。専門誌で他の学者と論争があったようだけれど、それも気になる。
何よりも知的エンターテイメントとし楽しめ、学問の面白さを教えてくれる一冊だ。古代史、古代日本語、国語学などに興味のある人は多少専門的な部分が読みづらいけれども、是非とも一読することを勧めたい。
●倉西裕子「「記紀」はいかにして成立したか」講談社選書メチエ
![]() | 「記紀」はいかにして成立したか 倉西 裕子著 講談社 (2004.6) 通常2-3日以内に発送します。 bk1で詳細を見る |
これも書紀、古事記の成立にかかわる問題を追求した本で、硬派で手堅い論述が読める。やはり専門的な問題を扱っていて、そう読みやすい本ではないけれど、非常に興味深い問題を論じている。
ひとつは、古事記と日本書紀では、「天皇」概念に大きな違いがあるのではないかということだ。古事記と書紀では、たとえば神代に関して、書紀本文ではイザナミが死なないので黄泉の話がないとか、創成の神名にかなり違いがあるとか、「記紀」としてしばしば一緒くたにされたり混同されたりしているけれど、基本的な編纂思想そのものに大きな差異があることはずいぶん言われてきていることだった。天智天皇による指示で作られ、成立時期も近いけれど、両者は似て非なるものだ。
本書では、その差異の問題について記紀それぞれの天皇概念の違いというアプローチで一端の解明を試みている。著者が述べる結論はこうだ。
| 『日本書紀』における「天皇」の定義は、皇祖の祖霊を引き継ぎ、神祇・祭祀と関連のある立場であり、一方、『古事記』における「天皇」の定義は、「治天下の権を持つもの」であったと言うことができます。(中略)すなわち、『日本書紀』と『古事記』が似て非なる史書である大きな理由は、両書において「天皇」の定義が異なっており、前者が「あまつひつぎしろしめす」であり、後者が「あめのしたしろしめす」であるからである、という結論を、どうやら導くことができそうです。 |
P153 |
これはなかなか斬新な見解。こういう風な解釈をした人はいままで見たことがなかった(と思う)ので非常に面白い。
この天皇概念の整理から、著者は持統朝でのさまざまな問題についてもいろいろ新解釈を引き出していて、とても興味深い。持統称制と呼ばれる、持統元年から持統三年までの三年間は、持統天皇は即位式を行っておらず、実質的には天皇不在の年間なのだけれど、書紀の紀年上は持統年間として把握されているという謎がある。この三年のブランクについて、著者は、その年間は草壁皇子が「治天下の権」(正確かどうかわからないけれど、以下略して治世権)を握っており、当時は草壁皇子が天皇と呼ばれていたのではないか、とも推測している。そして、このように紀年にブランクが空いた理由を、持統朝と書紀編纂の当時とでは、天皇概念に変更が生じたからではないかと結論づけている。この、在位当時と編纂時で天皇概念に違いが生まれたという問題は、この説がもたらした新たな謎と言える。ここに史書成立にまつわる何らかの事情が絡んでいる可能性を著者は指摘している。
また、書紀では祭祀権こそが天皇の核心だとすると、皇太子が治世権を握っていると著者は論じていて、だとすると、天皇位を譲るということの意味が違って見える。皇太子が治世権を持つものだとすると、皇族の者にとって必ずしも望まれる位ではないものだった可能性が出てくる。そうすると、古代史での権力争いについてもいろいろ新解釈が可能になってくる。著者は持統朝や大化の改新においてその観点からの再解釈を促してもいる。
もう一つの大きな謎、「日本書紀」が成立当初(正確には、「続日本紀」養老四年の記述)は「日本紀」と呼ばれていた、ことと「日本紀」では紀三十巻と系図一巻という構成であった、という書紀成立にまつわる長年の謎についても、興味深い見解を披露している。
この「紀」と「書」というネーミングからしてまず厄介。「紀」というのは編年体の史書、「書」というのは紀伝体の史書を指す言葉で、日本書紀はその体裁から「紀」と称するのが本来のはずで、「書紀」というネーミングはそもそも妙だった。Wikipediaでの「日本書紀」の項からこれにかんする通説を引用する。
| もとの名称が『日本紀』だったとする説と、初めから『日本書紀』だったとする説がある。 『日本紀』とする説は、『続日本紀』の上記記事に「書」の文字がないことを重視する。中国では紀伝体の史書を「書」(『漢書』『後漢書』など)と呼び、帝王の治世を編年体にしたものを「紀」(『漢紀』『後漢紀』)と呼んでいた。この用法に倣ったとすれば、『日本書紀』は「紀」にあたるものなので、『日本紀』と名づけられたと推測できる。『日本書紀』に続いて編纂された『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』がいずれも書名に「書」の文字を持たないこともこの説を支持していると言われる。この場合、「書」の字は後世に挿入されたことになる。 『日本書紀』とする説は、古写本と奈良時代・平安時代初期のような近い時代の史料がみな『日本書紀』と記していることを重視する。例えば、『弘仁私記』序、『釈日本紀』引用の「延喜講記」など。『書紀』が参考にした中国史書は、『漢書』『後漢書』のように全体を「書」としその一部に「紀」を持つ体裁をとる。そこでこの説の論者は、現存する『書紀』は、中国の史書にあてはめると『日本書』の「紀」にあたるものとして、『日本書紀』と名づけられたと推測する。 |
この説も、説得的かつ面白い。書紀の書名についての謎(特に、書名と系図)をもっとも明快に説明した論、かも。少なくとも、上記に引用した通説よりは無理がない。素人目には面白いけれど、証拠の面で弱いかなとは感じる。
この人は、前著「日本書紀の真実」で日本書紀の紀年論というとても面倒くさそうな分野を扱っている。編年体の歴史書である書紀の年代設定には多くの謎があり、実際の年代との不整合や、長寿すぎる天皇、宋書などの中国の史書に見られる「倭の五王」とは実際にどの天皇のことを指しているのか、といったような研究史上未解明の問題などを含んでいる。在野の研究者でなおかつ、地味っぽくて手間のかかる分野で手堅く論証しようとする、なかなか面白い人なのだけれど、書名がちょっとばかりトンデモ臭いところがあって、誤解を招きそうなところがあると思う。「日本書紀の真実」とか、本書の副題「「天」の史書と「地」の史書」とかいうネーミングが微妙だ。後者のは読んでみれば意味するところがわかるのだけれど、最初私が見たときはものすごいうさんくささを感じた。
歴史学の倉西裕子およびその双子の姉妹で政治学の倉西雅子によるウェブサイト
倉西先生のご学問所
2007年03月20日
近現代史と中世史についての二冊 [ books ]
また間が空いてしまいました。三ヶ月ぶり。感想を書きたい本が溜まってしまっているのに加えて笙野頼子関連も「成田参拝」や「現代思想」などいくつも新しいものが出ていてそっちも溜まってしまっています。以下に紹介する本なんて、十月には読んでいた本だったりするのですが、記事としてまとまったものを書くのが遅れに遅れて、というか、一冊に分量を割きすぎているせいでしょう。暇な時間がとりづらくなってしまって書く時間がないです。
というか、笙野頼子から脱線して日本史、あるいは日本語史をつまみ食いしすぎている気がします。平凡社ライブラリーの大冊「日本語の歴史」は面白くて、三巻目に突入です。たぶん全部読みます。そんなことしてるから三ヶ月ぶりになってしまうのですが。
●海野弘「陰謀と幻想の大アジア」平凡社
![]() | 陰謀と幻想の大アジア 海野 弘著平凡社 (2005.9)bk1で詳細を見る |
海野弘には「陰謀の世界史」という大著があるけれど、この本はそのスピンアウトとして、日本における大アジア主義について書いている。私は「世界史」の方は読んでいないけれど、知人が部屋に置いていったこれを読んでみたところ結構面白い。記述そのものはあまり踏み込んだものではなく、調べながら書いている感じがあるのだけれど、逆に大アジア主義とか戦前の右翼がどうとかの話に疎い私にはちょうどよいくらいだったようだ。
著者ははじめにこう述べている。
| 満州国は、日本が海外に建設したはじめての国であった。日本は満州国によってはじめて世界を考えるようになった。そこで世界をどのようにとらえるか、世界とどのように対決するかが迫られ、さまざまな説、陰謀史観の温床になったのであった。 |
P10 |
ユダヤのみならず、イスラムなどとの関わりもまた、満州を起点にしていると著者は言う。満州が、大陸的なものとのつながりの重要な起点になったという。本書で著者が重要なキーワードとして挙げるもののいくつか、日猶同祖論、アルタイ語起源論、大東亜共栄圏、騎馬民族説などは、日本とアジアとのつながりを強く意識したものだ。
しかし、このうちの多くの説は戦後臭いものに蓋をするように省みられなくなってしまう。これらの歴史の記憶が失われてしまったことが、陰謀、幻想として地下に息づくことになる。著者は次のように述べる。
| 日本近代史の<満州>から<大東亜共栄圏>にいたる十のセオリーを陰謀史観として読み直したのは、それらを否定するのではなく、それらが今も生きていて、わくわくするような面白さを持っているからなのだ。それはあやしげであり、陰謀的であるとともに、私たちを歴史のはるかな夢へと連れ出していく。 |
P281 |
この本はそうした、戦前戦中と戦後との断絶を描き出している。歴史が途切れてしまっているために、戦前のセオリーが妙な形で復活したり、大東亜共栄圏などの自大主義な理論を敬遠するあまり矮小な世界だけに閉じこもってしまったりしていると嘆いている。
私が特に興味深く思ったのは日本語の起源と、騎馬民族説を扱った部分だ。
日本語の起源の章では、大野晋のタミル語起源説があっさりと否定され、アメリカや韓国の研究を参照して最近の成果を紹介している。(大野のはそもそも方法論的に問題外、というのが有力なようだ。それはここの大野批判1批判2批判3などを見ると何となくわかる)韓国での最新の研究では、失われた言葉である高句麗語の復元が進み、どうやらそれが朝鮮語と日本語とをつなぐリンクであるという説があるそうだ。宋敏の「韓国語と日本語のあいだ」によると、「高句麗語は日本語の疎遠性を南方系の要素として解決しようとする態度をほとんど無力にしうるほど言語的に日本に近い」そうだ。これはなかなか面白い。ただ、この説の学術的評価はいかなるものかはよくわからない。日本の古代はどう考えても中国や朝鮮半島との関係が密なはずなので、オーストロネシアとかアルタイ語族などと直接関連づけるよりははるかに説得的なようにも素人目にはみえるけれど。
騎馬民族の章で面白いのは、学説的にはいまや過去のものとして見られている江上波夫のこの説に対して海野が提出している批判だ。騎馬民族説とは、ユーラシアからきた騎馬民族が四世紀ごろに日本に侵入、征服し、それがいまの天皇家の祖先である、という説だ。考古学的にも歴史学的にもほとんど根拠のない説といわれるけれど、確かに、皇国史観に対するアンチテーゼとしては面白くはあると思う。しかし海野は、江上波夫が近代化は騎馬民族にしかできない、という騎馬民族、農耕民族の二元論を唱えていることを指摘する。日本は騎馬民族系なので近代化できたが、中国は農耕民族なので近代化はできない、と江上は言う。これは一種の差別主義だ。そして騎馬民族説が征服者の視点からの理論であることを指摘し、皇国史観に対するものとして提出された騎馬民族説が実際は征服者の視点から説かれたものであり、近代化できない農耕民族を優秀な騎馬民族たる日本が近代化させてやるという形で、日本の帝国主義を正当化することに、無意識にであれ加担していると批判する。
幾つかの本では騎馬民族説については、過去の学説か、あるいは面白いが賛同できない、というような言及ばかりだったけれど、ここでの批判はかなり考えさせられるものがある。海野は同時に、戦後に提出された騎馬民族説が戦前のモンゴルで発想されたことを指摘している。
戦後、戦前を臭いものに蓋をするようにして、正面から総括することが出来なかったためか、戦前的なものがにわかに浮上してくる。個人的に驚いたのは、ネットでの中国やアジアの国々に対するヘイトスピーチにおいて、騎馬民族説において江上が見せたのと同じ差別主義的言説がいまも現役だったりすることだ。
●黒田基樹「百姓から見た戦国大名」ちくま新書
![]() | 百姓から見た戦国大名 黒田 基樹著筑摩書房 (2006.9)bk1で詳細を見る |
ほんとうは藤木久志「戦国の作法 村の紛争解決」(なんて面白そうなタイトルだろう)という本を読みたかったのだけれど、もうずっと品切れらしく、そんなおり本書が出ているのを知った。戦国時代、というと支配階級である武将の話ばかりで、直接戦争に関わらない人たちがどのような暮らしを送っていたか、ということはあまり話題にならないしよくわからない。私は戦国武将についてあんまり興味がなくて(全然知らない)、むしろ当時の日常的な生活のあり方がどうだったのかを知りたかったので、百姓を視点に据えた本書の叙述は非常に興味深く読めた。
●戦争と飢饉の時代
この本ではまず、戦国時代とは戦争と飢饉の時代であることを強調する。戦争と飢饉が慢性化し日常となった時代だという。そして、戦争と飢饉のなかで窮乏にあえぐ人々は、当然その改善を大名に要求するわけで、その世直しの声が大きくなって実際に大名の代替わりの契機とすらなることを史料から指摘してみせる。
また、武田信玄の父に対するクーデターについて、当時の史料からクーデター時に甲斐国はかなりの飢饉であったこと、父信虎については動物すらも悩ます悪政と呼ばれ、信玄が救世主扱いすらされており、クーデター後に信虎派の反撃がまったくなかったことなどから、信玄の行動は窮乏に陥った甲斐国の民衆の強い世直しの声に押されたものだっただろうことを明らかにしている。むしろ、ここで世直しの声に従わなければ武田氏の存続そのものにかかわる事態だったのではないかと言う。
つまり、大名とはいってもやはり生産者として国を支える農民、民衆の声を無視できるわけではない、という実に当たり前のことが指摘されるのだけれど、これがなかなか新鮮だったりする。やはり大名、戦国時代などには支配者である大名とその下で年貢の重圧に苛まれる農民、といったようなわりあい一面的なイメージがあったのだけれど、本書はそういった印象を具体的な事例に基づいて丁寧にかつ鮮やかにひっくり返して見せる。
話を戻すが、戦国時代の飢饉というのは江戸後期で大飢饉と呼ばれたようなものがほとんど日常となっていたほどだったという。作物の収穫の端境期ではつねに人の死亡率が上昇し、日々生きるか死ぬかの瀬戸際にあった。そしてさらに、文字通り戦争がたびたび起こっていた内戦の時代でもあるのだけれど、戦争はどこか空中で行われるわけではなく、常にどこかで誰かの領地において戦われていたということを忘れてはならない。ひらたくいえば、どこかに攻め込むということは同時にその領地で破壊行為を行い、作物を奪取する略奪と表裏一体だったということだ。
さらに、足軽たちが戦争に参加することには、端境期に出稼ぎに出ることによる村の口減らしと、侵攻先での略奪で財を得るという一石二鳥の意味もあった。これは大名の戦争にも言える。つまり、収穫期に敵地に侵攻し作物を略奪することや、端境期に人員を送り込んで領内での口減らしを図ることなどが、そもそも大名の戦争の理由にすらなっていたのではないか、と推測される。
飢饉での食糧不足から敵地に侵攻、略奪し、略奪された側は耕地や村を荒らされ、民衆を奴隷にされたり奴隷商人に売り飛ばされ、作物や耕作具を奪われたり破壊されたりすることによって、また飢饉に陥る。戦国時代とはこのような悪循環に見舞われた過酷な時代だった。これがこの著者の提示する戦国時代像だ。
●生存のための共同体
では、人々はその過酷な時代をどうやって生き抜いていったのか。そこで注目されるのが村だ。村とは言っても、自然に形成された人々が集まり住んでいるところ、というものとは違い、領地の占有、構成員の認定、構成員に対する徴税、立法、警察等諸権力の行使を行い、私権を制限する一種の公権力として存在する政治的共同体として形成された村だ。さらには当時の人々は皆武器を持っており、対外的に武力を行使することもあった。そして、村の行動については構成員が全員参加する寄合によって決定される。
これはすでに小国家とも呼ぶべき存在だ。なぜこのような強固な政治的共同体が形成されたかについて、著者は以下のように書いている。
| ちょっとした災害によってもたちまち飢餓に陥ってしまうような状況であったため、それこそ災害のたびごとに、農業用水や肥料・飼料になる草木の採取など、生産のための用益をめぐってしばしば争いが生じていた。しかも中世の民衆は、日常的に帯刀していたから、争いは武力をともない、さらに親類・縁者を巻き込んでたちまち集団同士の争いに展開した。 |
P64 |
用益をめぐる日常的な対立が、村同士の関係に多大な緊張をもたらし、ために村それ自体が抗争と防衛のための組織化を必要とした訳だ。
そして、しばしば抗争は周囲の村々を巻き込んで大規模な「合戦」(村同士の抗争もまた合戦と呼ばれた)となっていくことがあった。用益をめぐるいさかいが抗争となり、兵具を用いた抗争に発展していくなかで、同盟関係にある村々へ「合力」を求めるためだ。面白いのはこの合力はただで行われるわけではなく、かなりの額の報酬が支払われている。報酬は村の数年分の年貢に匹敵する額にもなり、借金でまかって何年かかけて返済していく。つまり、用益が生存のためのものである以上、相当の負担を支払っても守らねばならないものだったということだと著者はいう。
だからこそ、合戦は拡大していく。当時の村同士の抗争のなかには土地の領主が調停に現れたりする例が見られる。つまり、領主でなければ仲裁不能なまでに抗争が拡大することがあったということらしい。領主にとっても年貢という収入源であるだけことをなおざりにはできない。だから、中世における「領主同士の合戦と見られたものの根底には、こうした村同士の用益をめぐる紛争があった可能性は、限りなく高い」と著者は論じている。
●大名と村の契約
村にとって用益が、村同士の抗争を引き起こすほど重要だったように、領国を治める大名にも、その国の成り立ちにとって、村がきわめて大きな意味を持っていた。村はすなわち年貢が生産される財源であり、村が豊かであることが同時に国が豊かであることに繋がる。大名もそれは認識していて、農民からの搾取に他ならない華美を戒め、倹約を勧めることが国を豊かにし、戦争にも勝つことになる、と言っている。
年貢の収受、公事の割り当て、法令の施行など、その領国支配において大名は個々の村人と直接交渉するのでなしに、すべて村単位を相手にしており、これを「村請」と呼ぶ。
この「村請」は、村と大名という法人格を持つもの同士の契約だったと著者は言う。支配する側とされる側という社会的、身分的な格差があったものの、お互いが主体となり、互いに相手に対して義務を負う双務的な社会契約だったという。
領主は、村の耕作地としての整備や、資金の貸し付け等を果たすことで、年貢を取り立てる資格を得、また抗争の折りには「合力」し、村の存立、安穏、平和を保障することが課せられる。
対して村は、年貢や公事などの税金を負担する。
この関係は契約である以上、絶対ではなく、たとえば領主が村を防衛しきれなかった場合、村は以前の領主を失格と判断し、侵攻してきたより強い領主の支配下に入り、以前の契約関係を一方的に破棄したりした。また、以下のようなストライキを行うこともあったという。
| 不作が生じた場合には、相当分の年貢等の減免を要求するが、それが容易に認められない場合、実力で抗議した。村ぐるみで、山野などに逃げ込み、年貢の納入や耕作を放棄した。こうした実力行使を「逃散(ちょうさん)」といい、中世を通じて百姓の対領主闘争の基本的な方法であった。 |
137 |
適切な対応をとらなければ農民はよそに移動したり、没落したりして、不作発生し、年貢などの収取が滞り、国の存立の危機に瀕する。
国にとっても百姓たちの村の豊かさを維持することが重要であり、それなくして大名自身の安寧もなかった。そのような社会状況のなかでは、上記のごとき領主と村との契約はきわめて大きな意味を持っていたのだろう。
この本が面白いのは、この時代における具体的生存の困難さという前提から、生きるための即物的な必要性の点から、当時の社会のダイナミクスを見ていくという視点だ。飢えた農民の声によって代替わりを余儀なくされたり、飢餓の時期に他国へ略奪に行く戦国大名、生存のために大規模な紛争まで起こす武装した村々等、即物的な俗っぷりが興味深いことこの上ない。
また、後半では戦国時代の地域国家を、御国のための徴用や法制度などの観点から国民国家の原形として見ていくなど、「国家」という視点からも非常に面白い。そこでもやはり即物的な生活に根ざす、経済的な視点があり、おそらくタイトルの「百姓」とはそうした生活にまつわる観点に由来しているのだろう。
戦国時代、人々の日常的な生活はどうだったのか、ということについて、きわめて具体的な生活、経済の観点から論述されていて、非常に興味深い内容だった。歴史はやはり、当時において人々の生活や行動がどういうものだったのかということを知るのが面白い。そこでは昔の人はこうだったのか、というのを知るのとともに、昔からこうだったのか、というのもまたわかる。
法、国家という概念や、「逃散」に見られる労働と生活という視点は、いまでもなお重要な問題であり、それが百姓という生活の起点の場から眺められている本書の記述は様々な意味で現代においても示唆的だ。非常に面白い本です。この本で多く参照されている藤木久志氏や蔵持重裕氏の仕事もそのうち読んでみたいと思う、そのうち。
後半の分国法や喧嘩両成敗法については以下で紹介した「喧嘩両成敗の誕生」も併せて読むと良いかと。
http://inthewall.blogtribe.org/entry-6841f1a338b566d629a8896f70af1839.html
2006年12月02日
笙野頼子「だいにっほん、ろんちくおげれつ記」群像2006年8月号 [ books ]
![]() | 群像 2006年 08月号 講談社 このアイテムの詳細を見る |
前作の狂騒的な文体とはうってかわって、かなり落ち着いた雰囲気がある。冒頭の木の描写など、静かななかに嵐を訪れを感じさせるようなものがあり、それが今作全体の印象につながっている。次作を読まないことには確定できないが、今作は、次の段階へ向けての地固め、足慣らしという位置づけになるのではないかと思う。
今作では、前作「めいわく史」で首を吊って死んだみたこ教信者埴輪木綿助の妹、埴輪いぶきをメインにして語り始められる。このいぶきという女性、いったんおんたこの遊郭で殺されていて、それが蘇ってきたという存在だ。そして、舞台となっているS倉では、この死者の蘇りという現象は日常的な光景として定着しつつあるようだ。
いぶきは何かを手伝おうと街をうろつき、そこから見える情景のなかに、2060年のだいにっほん、S倉の置かれた状況が見えてくる。「めいわく史」で描かれたみたこ教弾圧事件からもずいぶん経ち(実際何年経ったのかははっきりしない)、死者の蘇りという異常事態も、おんたこ政府の黙殺により特に問題化しているようにはみえず、とりあえずの落ち着きがあるようだ。
しかし、蘇った死者が、おんたこアートでできた小さなフィギュアに入り込み、それを買ったおんたこを殺してしまうという事件が相次いで起きている。それもまたおんたこは無視している。おんたこ殺しのフィギュアに死者を入れる施設などがあるにもかかわらず、あまりアングラな雰囲気はない。今作では、おんたこの無為無策ぶりがかなり強調されている。
話がとくに進んでいるわけではないが、今作の時間軸は「めいわく史」から数十年ほど経過しているらしいことがわかる。一応確認した限りでの作品の時間軸を書いてみる。(全部チェックしたわけではないので、明確な記述があれば訂正します)
浄泥の死亡年 1760年
野之百合子の生年 1950年代
ウラミズモとS倉の利根川の橋 2002年
めいわく史 2010年あたり(百合子失踪から十年と数えて)
おげれつ記 2060年
めいわく史(みたこ教弾圧事件)がいつの出来事なのか見た限り判然としなかったが、百合子失踪の時期から逆算すると、以上のようになる。「めいわく史」からおよそ五十年が経っているらしい。しかし、数十年経ってるとすると不思議に思える点もある。
「おげれつ記」は二、三度読み返したが、前回の延長上にあるので、あまり書くことがない。これだけだと記事として短いかと思ってまとめずにいたら読んでからずいぶん時間が経ってしまった。
目新しい点としてはネオリベラリズムへの言及がある。それについては参考に挙げられている以下の本は問題を知るには適当かと思われるので、IMFがどうしたのか、という人は読むと良いと思う。私も、IMFの下りはよくわからなかったが、融資と引き替えに政策への干渉(ネオリベ化への)を行っているというのを読んで腑に落ちた。
![]() | ネオリベ現代生活批判序説 白石 嘉治編 / 大野 英士編 / 入江 公康〔ほか〕インタビュー 新評論 (2005.10) bk1で詳細を見る |
IMF Wikipedia
作品の感想としてはPanzaさんのこのエントリがある。ポイントを網羅していて私の記事より有益。
さて、Panzaさんは様々な事柄が「線的にではなく全体として族生している小説」と評している。「だいにっほん」の連作で大々的に取り入れられている新機軸として、複数の人物の複数の語り、複数の思考が重層的に折り重なっていることが挙げられる。一人称での暴走気味にドライブする語りが特徴的だった笙野作品としては初めてではないだろうか(複数人物を据えた作品があったか思い出せない)。
もちろん、全三部予定の大部の作品を成立させるのには「水晶内制度」や「金毘羅」的な一人称文体では無理だということなのだろう。前作でも、火星人落語やら「おたい」やら小説内小説やら、とかなり多彩な語り口を用意して見せたが、今回はそれほど派手ではない。が、「おげれつ記」では、各人の思考がたどられていくうちに、焦点人物となっている人物のあいだに微妙に緊張関係が存在することが示唆されている。冒頭での主人公、埴輪木綿助の妹、いぶきは、兄に対しても、知り合った「おたい」に対しても時に批判的なことを語る。また、作中での「笙野頼子」の語りに対しても、部分的にしかわからないといい、また笙野らに対しても距離のある態度をとっている。
作中での「笙野頼子」が主張するような様々なおんたこ批判は、確かに「だいにっほん」連作の根幹でもあるのだけれど、決してそれが小説内で無批判に是とされているわけではない、ということだ。いぶきのような人物によって、それは不断に相対化され、批判的に眺められることになる。いぶきにとって、「笙野頼子」らの言うことにはどこか違和感がつきまとい、どうにも信頼しきれるものとは思われていない。これは、「水晶内制度」がそうだったように、見えなくされていたものを見えるようにする、という抵抗の運動が、またさらに何かを見えなくしてしまうのではないか、という疑念から来ているように思う。そのような疑念が、今作では複数人物の相互の距離感によって表現されているのではないか。
![]() | 小説のストラテジー 佐藤 亜紀著 青土社 (2006.9) bk1で詳細を見る |
佐藤亜紀が「小説のストラテジー」で読み込んでみたように、笙野頼子の文体には相互に矛盾し合うような要素を一緒くたにしたような猥雑さがある。単線的にある主張を述べるのではなく、一つを語ったと思ったらそれに反する要素がすぐさま投入されて、相互矛盾する諸要素が反発しあいながら語りを駆動するところがある。それが「だいにっほん」連作では一人称文体での異様なドライブ(「金毘羅」「水晶内制度」)を抑えつつ、登場人物同士の距離感として、面的な広がりを持つように構成されていると考えられる。まあ、長いものを書こうとすればこうなるのは当然か。
●宗教に関して
作中で言及されている、熊楠の合祀反対論。
●南方熊楠 神社合祀
村上重良「国家神道」岩波新書
![]() | 国家神道 村上 重良〔著〕 岩波書店 (1979) この本は現在お取り扱いできません。 bk1で詳細を見る |
冒頭で村上が解説している宗教学における二分法が興味深い。そこでは、民族などの共同体のなかで生まれた信仰と、特定の創始者を持つ宗教とを分けて、前者を民族宗教、自然宗教、後者を創唱宗教と呼んでいる。民族宗教とは、神道、原始宗教、ユダヤ教、ヒンズー教、道教などの、共同体に由来し社会的共同体と宗教的共同体が一致するもので、創唱宗教ではそうではない。これは伝播形式による分類で、つまり、民族宗教とはそれが生まれた共同体以外には広まらないもので、創唱宗教は世界的に広まりうる普遍性を持ったものだと言う。
民族宗教もまた発展していくと創唱宗教と類似していき、特定集団以外にも進出していくが、神道はそれとは異なった道をたどるという。神道は、仏教、儒教、道教、キリスト教などと習合し展開してきたが、核心は「原始宗教以来の共同体の祭祀」であり、「日本社会の外に伝播する条件を完全に欠いた」「原始宗教的な特異な宗教」だと村上は述べる。
| 「改めて指摘するまでもなく、原始社会で営まれる民族宗教は、小規模な社会集団の全成員による、生活と生産の共同体を維持するための儀礼であった。民族宗教の集団は、そのまま社会集団であり、この共同体から脱出することは、当然のこととして、その人間の死を意味した。共同体の成員は、個人として存在しているのではなく、その集団の構成分子としてのみ存在していたからである。かれらには、神を捨てる自由も、神を選ぶ自由も、本来、ありえなかった。 近代天皇制国家が強調した家族国家観も共同体意識も、その淵源は、民族宗教の構造原理に発している。民族宗教の原理は、個人的内面的な契機をまったく欠いた、どこまでも原始的な宗教観念によって組み立てられており、近代社会はもとより、成熟した封建社会に置いても、とうてい通用するべくもない素朴な思考であった」 |
P11・強調引用者 |
基層信仰=民族宗教=共同体
普遍宗教=創唱宗教=個人
共同体の祭祀、儀礼といった自然発生的なものを起源に持つ民族宗教と、創始者という個人が起源にある創唱宗教との違いはわかりやすい。笙野が、個人の内面を強調し、明治政府の宗教政策を批判するのは、この違いを意識してのことだろう。そして注意すべきなのは、神道が政府に国教化されることには猛烈に抵抗し批判するが、民俗的な信仰を拒否するのではなく、あくまで個人の立場からそれを信仰しようとしていることだ。明治政府を、基層信仰を個人的内面の圧殺のために用いたとして批判するが、笙野は逆に、基層信仰に個人の内面という問題を導入する試み、といえるかも知れない。
2006年07月15日
明治の宗教政策――安丸良夫「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈」 [ books ]
●安丸良夫「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈」岩波新書
![]() | 神々の明治維新 安丸 良夫著 岩波書店 (1979.11) bk1で詳細を見る |
神仏分離や廃仏毀釈といわれても、ほとんど知識もなかったけれど、これを読むと、当時行われた神仏分離政策が、それまでの宗教生活に対してどれほど大きな影響を与えたのかがわかる。
下手な要約をするより、安丸氏が「はじめに」で書いているのを見た方がはやい。
| あらたに樹立されていった神々の体系は、水戸学や後期国学に由来する国体神学がつくりだしたもので、明治以前の大部分の日本人にとっては、思いもかけないような性格のものだった。伊勢信仰でさえ、江戸時代のそれは農業神としての外宮に重点があり、天照大神信仰も、民衆信仰の次元では、皇祖神崇拝としてのそれではなかった。 だが、天皇の神権的絶対性を押しだすことで、近代民族国家形成の課題をになおうとする明治維新という社会変革のなかで、皇統と国家の功臣こそが神だと指定されたとき、誰も公然とはそれに反対することができなかった。中略 それは、近代日本の天皇制国家のための良民鍛冶の役割を各宗教がにない、その点での存在価値を国家意志の面前に競いあうことであった。 この良民鍛冶の役割からすれば、仏教の反世俗性や来世主義、また信仰生活の遊楽化などは、克服されねばならなかった。しかし、仏教よりもさらにきびしく抑圧されたり否定されたりされなければならないのは、民俗信仰であった。中略 よりひろい視野からすれば、民俗信仰の抑圧は、明治維新をはさむ日本社会の体制的な転換にさいして、百姓一揆、若者組、ヨバイ、さまざまの民俗行事、乞食などが禁圧され、人々の生活態度や地域の生活秩序が再編成され、再掌握されてゆく過程の一環、そのもっとも重要な部分の一つであった。この過程を全体としてみれば、民衆の生活と意識の内部に国家がふかくたちいって、近代日本の国家的課題にあわせて、有用で価値的なものと無用・有害で無価値なものとのあいだに、ふかい分割線をひくことであった、といえよう。 |
P7-9 |
近代国家形成の過程で、神道国教化政策が採られ、民俗信仰が抑圧されていく。神仏分離とは、それまでの混沌とした民衆的信仰形態を、神道の元に一元化していこうという動きであり、そこでは民衆の日常的生活にも多大なる影響を与えたという。
本書では維新以前の江戸期の排仏論、キリシタン禁制などを参照しつつ、宗教という国家にとっての厄介な代物についての分析から始めている。本書はその意味で宗教と政治の微妙な関係の歴史でもある。
著者は、明治政府が王政復古を打ち出した理由として、クーデター政権であった維新政府が自身の権威を正当化するために、幼い明治天皇を擁立し神権的天皇制のイデオロギーを利用した、という。ここで、あくまで神道を政治利用の手段とした政府の中心人物たちと、復古の幻想を抱く国学者や神道家たちとのあいだには、温度差があった。この差は、じっさいに神仏分離令の運用の場で、政府と神道家たちとのあいだの対立を招いている。
慶応四年の神仏分離の諸布告で、神道家の急進派の集団が日吉山王社に押し入り、力づくで廃仏毀釈を実行するという事件が起きている。この事件は、政府にとっても尚早であり、また民衆にとっても恐怖と不安を植え付ける結果となった。神仏分離政策においては、国学などの隆盛もあって、それまでの仏教上位の環境に対する強い不満を抱く神道家と、過激な展開を望んでいるわけではない政府と、宗教生活の転換に直面する民衆という三者が存在している。農民たちは神仏分離のなかで自らの生活の土台の変化におびえ、山門擁護のために蜂起するなどの事件まで起こしている。
初期の時点では神仏分離を速やかに推進することができたのは、一部の神道系の勢力が強いところに限られていた。
また、仏教側では、政府の一連の政策に危機感を抱いていたが、そのとき政府に対して、仏教はこれまで民衆教化の実績があるから、神道を基本とする教諭を行うこと、キリスト教から民衆を守ることなどの役目を国家から承認されることを求めている。
その後、神仏分離、廃仏毀釈政策が進展していくなかで、民衆生活において起こったことを、著者はこうまとめている。
| 廃仏毀釈は、その内容からいえば、民衆の宗教生活を葬儀と祖霊祭祀にほぼ一元化し、それを総括するものとしての産土社と国家的諸大社の信仰をその上におき、それ以外の宗教的諸次元を乱暴に圧殺しようとするものだった。ところが、葬儀と祖霊祭祀は、いかに重要とはいえ、民衆の宗教生活の一側面にすぎないのだから、廃仏毀釈にこめられていたこうした独断は、さまざまの矛盾や混乱を生むもとになった。そして、こうした単純化が強行されれば、人々の信仰心そのものの衰滅や道義心の衰退をひきおこす結果になりやすかった。 |
P118 |
廃藩置県によって集権国家樹立の基礎を固めた明治政府は、四年以降、近代的国家体制樹立のためのさまざまの政策を推進した。伊勢神宮と皇居の神殿を頂点とするあらたな祭祀体系は、一見すれば祭政一致という古代的風貌をもっているが、そのじつ、あらたに樹立されるべき近代的国家体制の担い手を求めて、国民の内面性を国家がからめとり、国家が設定する規範と秩序にむけて人々の内発性を調達しようとする壮大な企図の一部だった。そして、それは、復古の幻想を伴っていたとはいえ、民衆の精神生活の実態からみれば、なんらの復古でも伝統的なものでもなく、民衆の精神生活への尊大な無理解のうえに強行された、あらたな宗教体系の強制であった。 |
P142-143 |
著者の民衆と権力という対立の図式が顕著で問題なしとは思えないけれども、大筋としてはそうなのだろう。各町村で行われた神社改めや、修験の中心地出羽三山の神道化など、多くの信仰が大々的な改変を被り、各地の神社などでも習合的な性格の神格を無理に神道側に組み込んだり、それまでまったく祀られていなかった神格に変更したりするなどの政策が採られた。
詳細な事例は本を当たってほしいが、このような宗教体系の大きな改変が民衆の日常的な生活風景に影響を与えないわけがないだろう。神社数の大幅な減少はそのまま町村の風景を変えただろう。そして、広く行われた祭神の変更は、一種の歴史の忘却をもたらしたのではないだろうか。おそらく、近代から現代にいたる日本の宗教的なものに対する考えは、この時期の神道国教化政策と神仏分離、廃仏毀釈の影響を強く受けているのではないかと思う。日本の伝統、と思われているもののうちのいくつかは、この時期に改変を被ったきわめて近代的なものなのではないか。
神道が宗教ではなく、儀礼、習俗とされたのも、外部からの圧力(キリシタン禁制はキリスト教圏の国から非難された)で「信教の自由」を認めざるを得なくなったときに、教派神道が分離するという流れでのなかでのことだった。国家神道は神道非宗教説に立つが、「実際には宗教として機能しながら、近代国家の制度上のタテマエとしては、儀礼や習俗だと強弁されることになった。そして、この祭儀へと後退した神道を、イデオロギー的な内実から補ったのが教育勅語である」という風に、教化を伴うものであった。当時の政府が認めた「信教の自由」にしたところで、国家の秩序を脅かさない限りでという限定付きのものであり、神社崇拝という国教に背かない限りでのものだった。宗教が国家的に再編成された、ということだろう。
しかし、神道国教化政策、とはいっても、依然仏教の影響力、信者数、僧侶の数などなどにおいて、神道勢力は明らかに劣位にあり、神道の説教などもかなりの部分を僧侶がやっていたりするなど、名目的な位置と、じっさいの力関係はかなり食い違っていたようでもある。ここら辺が、一部の人間による廃仏毀釈の強行をもたらした不満、不安の源でもあっただろうと思われる。
ちなみに、安丸氏は「一揆・監獄・コスモロジー」のなかで、「国家神道」という言葉は、敗戦後アメリカが出した「神道指令」のなかの「State Shinto」の訳語である、ということに注意を促している。
なお、明治に復活した神祇官、神祇省などの省庁でも、国学者同士での勢力争いが存在していて、伊勢・天照大神派と、平田篤胤が提示した、大国主を冥界の神とする出雲系とが対立していた。この本でも出雲の国造、千家尊福が巡幸したとき、明治天皇のときのそれに匹敵する反応を引き起こしたことが書かれているけれど、そこら辺の詳しい事情は原武史の「<出雲>という思想」(講談社学術文庫)に書かれているので、興味のある方は是非参照を。面白い本です。
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