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はじめこのエントリを読んだときは自分の読みが浅かったのか、と思ったのだけれど、やはり「内山」が死んだという記述は最終章にしかなく、それはすぐに否定されるものとして書かれている。普通に読めばそうとしか思えない。
高橋氏の上記引用を読むと、氏はきちんと通読していないのではないかと疑われる。まあ、そうでなくとも氏の書評にはアジテーションじみたところが多く、そして内容に即して論証しないという傾向があったように感じてはいたのだけれど。「invitation」に書いたという書評はどんな内容だったのだろうか。
そういえば、上にソネアキラさんのレビューをリンクしたけれども、そこでソネアキラさんは、
これまでの作品と違って、すらすら読める、と書いている。
ソネアキラさんがどれに挫折したのかはわからないけれども、ここ数年の古井由吉の文章は柔らかくなった、と本人がいっていたらしい。それは、ここ何年かずっと定期的に朗読会というのをやっていて、自分の文章を人の前で朗読するようになって、それが文体に反映した、ということらしい。
私も何度か朗読会には参加したことがあり、古井由吉自身の声でその文章を聞いたことがある。氏の朗読は、ともすれば朗読されていることを忘れるほど自然で、声がすうっと入り込んでくる気持ちよさがある。そして、聞いていると驚くほど自然に聞くことができ、複雑な時間移動や話法の入れ子構造などが喧伝される氏の小説を、抵抗なく追っていくことができる。
それが、氏の最近の文章に反映されたのだろうか。いまも「新潮」に連作を連載中。まだ四作くらいなので本になるのは相当先になってしまう。かといっていまから連載を追うのも、なあ。
2004年10月29日
「野川」の書評について補足 [ books ]
「情況」は新号が出ていて、「暴力の哲学」特集を買い逃してしまった。うーん。
情況出版のウェブサイトは更新が半年以上止まっているし。そうまでして買うに足る
内容かどうかもわからないし、ちょっと保留か。
ところで、古井由吉「野川」は売れ行きも含めて結構好評なようで、今更ながらbk1レビュアーの方のブログなどをめぐっていたら、pipi姫さんが「野川」に書いた私の書評を好評してくれていた。
この記事は直接には、同じくレビュアーのソネアキラさんのこのエントリへの応答でもある。
ここに「ただこういう作品にひかれるのは、それだけトシとったってことかもしれない」と書かれていて、二十歳くらいから古井を読み始めた私はいったい、などと思ってしまったりもする。
ソネアキラさんのレビュー。
改めてここで「野川」を取り上げたのは、bk1に書評を投稿するときに、文字数の都合で削ってしまった記述を思い出したから。
私が投稿したレビューでは、終わりの方に高橋源一郎の日記からの記述を引用して、氏の「戦争小説」という指摘について書いた。ここで引用したのはこのエントリである。
この「野川」評には同意するところも、示唆的なところも、またあまり同意しないところもある(作品外の高橋自身の考えに引きつけすぎているように思える)。
そして、ここには一つ致命的な間違いがある。冒頭で高橋氏は
この小説に登場するのは、主人公の「私」を筆頭に、友人の「井斐」も、「内山」も「死」にとらわれていることだ。実際に、「井斐」も「内山」も、「定年」を過ぎた頃に死んでしまうのである。と書いているのだけれど、「野川」を読んだ人ならまずわかるとおり、「内山」は死んではいない。最終章の冒頭では、「内山」が死んだという“間違った情報”が伝えられるだけだ。普通に読み通せば、これは読み落とさないはずだ。
はじめこのエントリを読んだときは自分の読みが浅かったのか、と思ったのだけれど、やはり「内山」が死んだという記述は最終章にしかなく、それはすぐに否定されるものとして書かれている。普通に読めばそうとしか思えない。
高橋氏の上記引用を読むと、氏はきちんと通読していないのではないかと疑われる。まあ、そうでなくとも氏の書評にはアジテーションじみたところが多く、そして内容に即して論証しないという傾向があったように感じてはいたのだけれど。「invitation」に書いたという書評はどんな内容だったのだろうか。
そういえば、上にソネアキラさんのレビューをリンクしたけれども、そこでソネアキラさんは、
これまでの作品と違って、すらすら読める、と書いている。
ソネアキラさんがどれに挫折したのかはわからないけれども、ここ数年の古井由吉の文章は柔らかくなった、と本人がいっていたらしい。それは、ここ何年かずっと定期的に朗読会というのをやっていて、自分の文章を人の前で朗読するようになって、それが文体に反映した、ということらしい。
私も何度か朗読会には参加したことがあり、古井由吉自身の声でその文章を聞いたことがある。氏の朗読は、ともすれば朗読されていることを忘れるほど自然で、声がすうっと入り込んでくる気持ちよさがある。そして、聞いていると驚くほど自然に聞くことができ、複雑な時間移動や話法の入れ子構造などが喧伝される氏の小説を、抵抗なく追っていくことができる。
それが、氏の最近の文章に反映されたのだろうか。いまも「新潮」に連作を連載中。まだ四作くらいなので本になるのは相当先になってしまう。かといっていまから連載を追うのも、なあ。
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| ■ トラックバックありがとうございます | |
| 直接お話するのは初めてでしょうか?葉っぱさんのブログでお話したかもしれませんが。 お若いのに大変な力量を感じさせる書評で、いつも敬服しております。kingさんは将来優秀な研究者になられる方だと思いますので、そういう方の文章に早くから接することができるのもWEB時代の恩恵ですね。 それから、ブログ中に張って頂いたわたしのサイトへのリンクは、できればブログのほうではなく、 http://www.eonet.ne.jp/~ginyu/ にお願いします。 ブログは脱力して書いてますが、「吟遊旅人」のほうがリキ入っております。わたしは書評が苦手で、あまりいいのが書けないと自分でも自覚しています。むしろ、シネマ日記のほうがおもしろいと自画自賛しています。 kingさん、これからも素晴らしい書評を期待しています。 | |
| pipi姫 (2004-10-29 23:25:05) |
| ■ もったいなーい | |
| リンク修正ありがとうございます。研究者にならないのですか、もったいない! DVDボックスはわたしも同じ物を持っています。やっぱり「狩人」はお奨めですよ。 | |
| pipi (2004-10-31 00:21:04) |
| ■ モブノリオは古井由吉の教え子? | |
| kingさん、初カキコミです。 『槿』『聖耳』あたりでしょうか、 ダメだったのは。 最近の『週刊文春』の阿川佐和子の 対談でモブノリオがゲストで かつてニセ学生で 東大の古井由吉のゼミに 参加していたそうです。 | |
| 曽根 朗 (2004-11-04 20:40:16) |
| ■ Unknown | |
| 「槿」と「聖耳」ですか。確かに読みづらい時期の作品かも知れないですね。「槿」は長さと濃密さがやはり難物でしたし、「聖耳」とかは、短篇なのに語りの階層が複雑に入り組んでいて、かなり難解だった覚えがあります。 古井由吉は独文の教授だったのは知ってるんですが、東大でゼミなんて持ってたんですか。東大独文卒ですね。その縁でしょうか。 | |
| king (2004-11-07 18:39:21) |
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